早大童話会
びわの実会
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坪田が1951年7月創立。設立動機はかつて存在した児童文学サークル「赤い鳥」が目標だが、もう一つの理由として「少年文学宣言で未明と広介が賛否両論に晒された後、自分(坪田)も否定されるのではないかという恐れがあった」と、神宮は坪田から何度も聞かされたという(『早大児文サークル誌』49Pより)。 ネーミングは1935年に坪田が書いた童話『ビハの実』から。坪田はかつて自宅にビワを植えたところ、「ビワは不吉だ」といわれたが、抜く事に反対。このビワの木は坪田のシンボルとなった。 坪田の人脈から童話会OBが多数参加したのが特徴で、初回参加者では岡本、前川、竹崎、今西、大石、寺村など。早大を卒業した会員は自動的にびわの実会に参加、会員でなくとも早大生なら誰でも坪田の蔵書が読めた。童話会創作部20周年記念『童苑』は少年文学会とびわの実会の合併号で発行、『早大童話会35年のあゆみ』も童話会・びわの実会両所属経験者が発行している。 同人誌『びわの実ノート』、1963年に(隔)月刊商業誌『びわの実学校』を発行し、誌中連載から単独書籍となったヒット作も多い。『びわの実学校名作選』(東京書房)は1969年に毎日出版文化賞の文学・芸術部門を受賞している。坪田の没後も松谷が責任編集を受け継ぐなど活動は長く続いたが、参加者の高齢化(創立時の男性メンバーは2011年の時点で全員物故者となっている)および坪田とそのポリシーをリアルタイムで知る者がいなくなった事を理由に、2007年活動終了。同年まで発行された『びわの実ノート』が、2010年現在もポプラ社から購入できる。 豊島区の坪田の自宅はびわの実会の活動拠点のみならず、1961年頃から児童文庫「びわの実文庫」としても使われ、会員と子供たちの合同キャンプも行われた。その後東久留米市にも家が建てられ、文庫以外の機能は東久留米でも行われる。豊島区の家は長男が相続し、豊島区の史蹟として幾つかのサイトに掲載されているが、マンション建設のため2010年に解体された。東久留米の家は理基男の一族が相続。 早大外からの参加者 あまんきみこ(児童文学作家) 大川悦生(児童文学作家) 沖井千代子(児童文学作家) 庄野英二(児童文学作家) 関英雄(児童文学作家) 坪田理基男(児童文学作家、児童文学研究者) - 譲治の三男。 松谷みよ子(児童文学作家、民話収集家、人形劇団員) 宮川ひろ(児童文学作家) やべみつのり(児童文学作家、挿絵画家) 米川みちこ(児童文学作家)
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