ひょうすべとは? わかりやすく解説

ひょうすべ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/24 18:09 UTC 版)

佐脇嵩之『百怪図巻』より「へうすへ」(ひょうすべ)
鳥山石燕画図百鬼夜行』より「ひやうすべ」(ひょうすべ)

ひょうすべは、日本に伝わる妖怪佐賀県宮崎県をはじめとする九州地方に伝わっている[1]。『ひょうすえ』と表記することもある。漢字では『兵主部』と書く[2]

概要

民間伝承では主に九州地方に分布が見られ、河童のような存在であるとされる。呼び方にはヒョウスベのほかにヒョウスヘ、ヒョウズンボ、ヒョウスボ、ヒョースンボ、ヒョースボー、ヒョスボが各地で用いられていた[3]佐賀県ではカッパやガワッパ、長崎県ではガアタロの別名ともされる[4][5]。河童が彼岸の時季になると川と山とを移動するとされる言い伝えの多くはひょうすべたちに見受けられるものであり、この際に発せられると言われている「ヒョーヒョー」という鳥のような鳴き声が、その呼称の由来になったとも語られている[1]

ひょうすべはナスを好むと言い、畑の初ナスをひょうすべに供える風習がある[6]。また、ひょうすべはたいへん毛深いことが外観上の特徴とされるが、ひょうすべが民家に忍び込んで風呂に入ったところ、浸かった後の湯船には大量の体毛が浮かんでおり、その湯に触れた馬が死んでしまったという[7]。似た話では、ある薬湯屋で毎晩のようにひょうすべが湯を浴びに来ており、ひょうすべの浸かった後の湯には一面に毛が浮いて臭くなってしまうため、わざと湯を抜いておいたところ、薬湯屋で飼っていた馬を殺されてしまったという話もある[6]。河童が人家の風呂に入っていって汚してしまう話も同様に九州地方に広く見ることができる。

江戸時代に描かれた絵巻物では、毛深く禿頭のユーモラスなほぼ同一の表情やポーズで描かれている[6]鳥山石燕も『画図百鬼夜行』に同様のポーズをとるひょうすべを描いている。多田克己は、東南アジアに生息するテナガザルをモデルにしたのではないか[8]と考察している。

昭和以降の妖怪図鑑などでは、鳥山石燕による絵に描かれたひょうすべが広く用いられており、民間伝承でのひょうすべとは無関係に「見ると病気になる」、「笑うのにつられて自分も笑うと死んでしまう」といった解説が多数見られている。佐藤有文いちばんくわしい日本妖怪図鑑』には「ひょうすべが人に出遭うとヒッヒッヒッと笑い、もらい笑いした人は熱を出して死ぬ」とあるが、これは創作であろう[1]と指摘されている。人間に病気を流行させるものとの説もあり、ひょうすべの姿を見た者は原因不明の熱病に侵され、その熱病は周囲の者にまで伝染するという[7]。ナス畑を荒らすひょうすべを目撃した女性が、全身が紫色になる病気となって死んでしまったという話もある[6]

水神信仰との関係

ひょうすべという呼び方は、河童よりも古くから伝わっているとも言われる[8]。その名称の由来については『北肥戦誌』などに見られる橘島田丸(島田麻呂)にまつわる伝説があり、島田丸が水神を祭祀している渋江氏の祖先であることなどから、九州地方における渋江氏を通じた水神信仰が「ひょうすべ」という名前の伝播に影響があったとも考えられている[9] 。ただし名称の由来ついては他にも鳴き声、兵部神からなど諸説あり[1]、近世以前の所説や起源については不明な点が多い。

神護景雲2年(762年)、春日大社三笠山に遷された際、内匠頭が秘法を用いて人形に命を与えて社殿建立のための建築労働力としたが、完成後に不要となった人形を川に捨てたところ、人形が河童に化けて人々に害をなした。称徳天皇の命により兵部大輔の任にあたっていた橘島田丸がそれを鎮めたので、その河童たちを「主は兵部」という意味から兵主部(ひょうすべ)と呼ぶようになったと『北肥戦誌』(巻之16「渋江家由来の事」[10])には記されている[9]嘉禎3年(1237年)、島田丸の子孫である武将・橘公業伊予国(現・愛媛県)から佐賀県武雄市に移り、潮見神社の背後の山頂に潮見城を築いたが、その際に橘氏の眷属であった兵主部(ひょうすべ)も共に潮見川へ移住したといわれる[8]

肥前国長崎県諫早には兵揃(ひょうすべ)村という地があり、そこで天満宮[11]をあずかっていた渋江久太夫(文太夫)は河童除けの札を出していたとする記述も『和漢三才図会』(巻80・肥前)[12]などの書物や、『笈埃随筆』などをはじめとした近世の随筆などにしばしば見られる[9](諫早は肥前国高来郡などに属するが、柳田國男[13]が指摘するように兵揃村という村名は確認されていないため、兵揃が正式な村名であったのかどうかは不明)。

現在でも潮見神社には、橘諸兄をはじめとした橘氏の先祖たちが祭神として、兵主部が眷属として祀られている[8]。潮見神社の宮司・毛利家には、水難・河童除けの「ひょうすべよ約束せしを忘るなよ川立おのがあとはすがわら」という唱えごとが伝わっており、そこに「ひょうすべ」という言葉が見られる。このような「ひょうすべ」と「すがわら」を含む水難除けの呪文は近世以降、類似のものが多数記録・伝承されており[9]、これらの呪文は九州の大宰府へ左遷させられた菅原道真が河童を助け、その礼に河童たちは道真の一族には害を与えない約束をかわしたという伝承に由来しており、「兵主部たちよ、約束を忘れてはいないな。水泳の上手な男は菅原道真公の子孫であるぞ」という意味の言葉だとされる[8]

古代中国の兵主神(ひょうずしん)の「ひょうず」が「ひょうすべ」の語源であるとする説もある[14]。兵主神は秦氏ら渡来人が伝えたとされる神で、本来、武神だが日本では食料の神として信仰され、現在でも滋賀県野洲市兵庫県丹波市などの土地で兵主神社などの名で祀られている[14]多田克己はひょうすべが河童の仲間とされたのは江戸時代からでそれ以前は別の存在だったと述べている[14]

脚注

  1. ^ a b c d 村上健司編著『日本妖怪大事典』角川書店〈Kwai books〉、2005年、281-282頁。ISBN 978-4-04-883926-6 
  2. ^ 水木しげる『妖怪ビジュアル大図鑑』株式会社講談社、252頁。 
  3. ^ 村上健司編著『妖怪事典』毎日新聞社、2000年4月、289-290頁。ISBN 978-4-620-31428-0 
  4. ^ 千葉幹夫『全国妖怪事典』小学館〈小学館ライブラリー〉、1995年、218-223頁。ISBN 978-4-09-460074-2 
  5. ^ 「ガワッパ」「ガアタロ」はいずれも九州などでいう河童のことである(参考:中央公論新社『動物妖怪譚』下巻 ISBN 978-4-12-204792-1)。
  6. ^ a b c d 宮本幸枝・熊谷あづさ『日本の妖怪の謎と不思議』学習研究社〈GAKKEN MOOK〉、2007年、92頁。ISBN 978-4-05-604760-8 
  7. ^ a b 斉藤小川町他 著、人文社編集部 編『日本の謎と不思議大全 西日本編』人文社〈ものしりミニシリーズ〉、2006年、126頁。ISBN 978-4-7959-1987-7 
  8. ^ a b c d e 京極夏彦、多田克己編著『妖怪図巻』国書刊行会、2000年、144-145頁。ISBN 978-4-336-04187-6 
  9. ^ a b c d 石川純一郎 『新版 河童の世界』 時事通信社 1985年 84-87頁
  10. ^ 国史研究会 『国史叢書 北肥戦誌』第1巻 国史研究会 1918年 373-374頁
  11. ^ 『和漢三才図会』(巻80・肥前)には「菅原大明神」とある。
  12. ^ 竹島淳夫,島田勇雄, 樋口元巳 『和漢三才図会』第14巻 平凡社東洋文庫 (平凡社)〉1989年 219-220頁
  13. ^ 柳田國男 『増補 山島民譚集』 平凡社東洋文庫〉1969年 10-11頁
  14. ^ a b c 京極夏彦・多田克己・村上健司『妖怪馬鹿』新潮社〈新潮OH!文庫〉、2001年、195-196頁。ISBN 978-4-10-290073-4 

ひょうすべ

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妖怪大戦争 (1968年の映画)」の記事における「ひょうすべ」の解説

子役の長友宗之が演じた

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ひょうすべ

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妖怪百物語」の記事における「ひょうすべ」の解説

当時小学6年生の子役・河内保人演じた豊前守屋敷現れる最後棺桶行列では、行列周り喜色満面飛び跳ねていた。

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ひょうすべ

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東海道お化け道中」の記事における「ひょうすべ」の解説

子役演じた。「大映京都妖怪三部作」すべてに登場する

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ひょうすべ

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塗仏の宴 宴の支度」の記事における「ひょうすべ」の解説

関口巽京極堂同業先輩でもある宮村香奈男知り合う。彼は知り合い加藤麻美子という女性祖父のことである悩み抱えていることを京極堂相談来ていた。麻美子の祖父最近怪しげ新興宗教のような団体気触れ財産注ぎ込んでおり、彼女は祖父をその団体から脱退させたいのだという。しかし、彼女もまた華仙姑処女という謎の占い師心酔し多額寄付をしていた。

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ひょうすべ

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塗仏の宴 宴の支度」の記事における「ひょうすべ」の解説

宮村 香奈男(みやむら かなお) 川崎和書古地図専門古書店「薫紫亭(くんしてい)」を営む京極堂同業者で、その道では京極堂でも太刀打ち出来ない達人らしい。 元教員で、周囲からは「先生」呼ばれている。 知人麻美子から「ひょうすべ」を見た聞き京極堂にひょうすべとは何か聞きに来る。その後も彼女の相談乗りみちの教え修身会やり口について関口に話す。 加藤 麻美子(かとう まみこ) 宮村知人で、去年まで「小説創造」の編集者をしていた。線が細く神経質そうでいて、夢見がち気の抜けたような印象で、知的闊達な職業婦人云う物腰ながら、何処か薄幸そうに見える。気骨馬力もあり、前向き努力家で乎りしているのだが、反応がややスローで少しテンポ遅く即答出来ない体質で、騙されカモにされ易いタイプ時間几帳面で生活は規則正しい幼い頃鉄道唱歌全部憶えていて、今でもその殆どを暗唱できるのが自慢20年前、父が急死する前日昭和8年6月4日韮山夜道祖父一緒にひょうすべを目撃し、さらに昭和27年4月7日にも浅草橋で全く同じ顔のひょうすべを目にしているという。昨年ひょうすべを見てから2日後に、生まれたばかりの娘を不注意から盥で沐浴中に溺死させてしまい、それが原因離婚した。ひょうすべの話をしてからみちの教え修身会執拗勧誘されているが、宗教全般嫌っているので断固断っている。 祖父様子がおかしいことを宮村を介して京極堂相談した加藤 只二郎(かとう ただじろう) 麻美子の祖父。元々林業をしていて、妻子経営難会社多額借金残して20年前に急死した息子代わり、孫のために死に物狂い働いた過去を持つ。今も会社の役員で、伊豆韮山山林持っている資産家80歳に手が届くような高齢だが、矍鑠としていて、老人性痴呆症兆候認められない老齢から不安になってみちの教え修身会入会し、会の側の人間として無償導き役もして、修身会にはお布施以外に相当額寄付もしている。磐田純陽とは旧知間柄孫娘一緒に見たはずのひょうすべを知らないと言い張る磐田 純陽(いわた じゅんよう) 「みちの教え修身会会長頭部赤く剥け生まれたて日本猿のような特徴的な顔をした、小柄な老人観相学大家でもあるという。 戦前国家転覆企む無政府主義活動家だったとも、共産圏諜報員だったとも噂される。

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ひょうすべ

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地獄先生ぬ〜べ〜の登場人物」の記事における「ひょうすべ」の解説

九州妖怪で、風呂現れまき散らし人間病気流行させる。「ヒョウヒョウ」という鳴き声特徴。ひょうすべの病気にかかると、体がガチガチ痙攣して動けなくなり体温急激に低下して心停止し、死に至る。また、毛1本からも感染広がるほどに感染力が強い。

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