はだしのゲン
はだしのゲン
原題: | |
製作国: | 日本 |
製作年: | 1976 |
配給: | 共同映画 |
スタッフ | |
監督: | 山田典吾 ヤマダテンゴ |
製作: | 山田典吾 ヤマダテンゴ |
原作: | 中沢啓治 ナカザワケイジ |
脚本: | 山田典吾 ヤマダテンゴ |
撮影: | 安承攻 |
音楽: | 渋谷毅 |
美術: | 育野重一 イクノシゲカズ |
編集: | 沼崎梅子 ヌマザキウメコ |
録音: | 奥山重之助 オクヤマ |
助監督: | 石山昭信 イシヤマアキノブ |
照明: | 山本嘉治 ヤマモトヨシハル |
キャスト(役名) |
三國連太郎 ミクニレンタロウ (中岡大吉) |
左幸子 ヒダリサチコ (中岡君江) |
佐藤健太 サトウケンタ (中岡ゲン) |
石松宏和 イシマツヒロカズ (中岡進次) |
岩原千寿子 イワハラチヅコ (中岡美子) |
小松陽太郎 コマツヨウタロウ (中岡浩二) |
箕島雪弥 ミノシマユキヤ (中岡昭三) |
島田順司 シマダジュンジ (朴) |
曽我廼家一二三 ソガノヤヒフミ (町内会長) |
草薙幸二郎 クサナギコウジロウ (特高) |
江角英明 エスミヒデアキ (特高) |
陶隆司 スエタカシ陶隆 (大西) |
梅津栄 ウメヅサカエ (広瀬先生) |
大泉滉 オオイズミアキラ (沼田先生) |
坂本新兵 サカモトシンペイ (岸先生) |
野々浩介 ノノコウスケ (校長) |
中村公三郎 (医者) |
公門義武 (農民) |
利根司郎 トネシロウ (農民) |
吉田義夫 ヨシダヨシオ (屋敷の主人) |
直木悠 (屋敷の主人) |
堀井永子 ホリイエイコ (堀川の妻) |
松井康子 マツイヤスコ (町内会長夫人) |
大関優子 オオゼキユウコ (大里先生) |
牧伸二 マキシンジ (堀川ガラス店主) |
解説 |
太平洋戦争終了時の広島を舞台に一人の少年を通して戦争の悲惨さと原爆の非道さを告発する。原作は中沢啓治の同名劇画。脚本・監督は「太陽の詩」の山田典吾、撮影も同作の安承攻がそれぞれ担当。 |
ストーリー※ストーリーの結末まで記載されていますので、ご注意ください |
昭和20年4月、太平洋戦争も終わりの頃の広島。国民学校2年の中岡ゲンは、今がわんぱく盛りの男の子。ゲンの父・大吉は、日頃から戦争に批判的だったが、ある日、町内会の竹やり訓練の時「この戦争は間違ってる」と言ったために“非国民”とののしられ、特高警察に逮捕されて拷問を受けた。そのため大吉の家族に、米を売ってくれなくなり、“非国民の子”として、長男の浩二、姉の英子、ゲン、進次も周囲からいじめられるようになった。しかし家族は、警察の拷問にも屈せず自説を曲げずに帰った父を暖かく迎えるのだった。そんな彼らを朝鮮人の朴は、大吉を正しいとして何かと一家の力になるのだった。しかし、浩二は“非国民”の重みをはね返すために予科練に志願、両親の反対を押し切って海軍航空隊に身を投じていった。そして8月6日、午前8時。ゲンはいつものように快晴の空の下を学校に急いでいたが、突然、B29が上空に現われたかと思うと強烈な白い閃光が走り、続いて巨大なキノコ状の雲が広がった。丁度、学校の塀の陰にいたゲンは運よく助かったが、町は猛火と黒煙の中で波うつように崩れさり、その姿を一変させていた。焼けただれた町の中を夢中で家に駈け戻ったゲンの見たものは、家の下敷きになった父の大吉、英子、進次の姿だった。そして余りのショックで母の君江は、突然、陣痛に襲われゲンの助けで出産した。8月15日、ガラス屋の堀川は、全身にガラスの破片を刺して苦しみながら死んだ妻の遺体を焼いた。その遺体に手をあわせる君江とゲン。その廃虚となった町の上を、敗戦を告げる天皇の放送が流れた。「天皇陛下様、戦争を止めさせる力がおありなら、どうして戦争を始めるのを止めて下さらなかったのですか!」母の君江は必死に叫ぶのだった。 |
はだしのゲン
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/10/01 05:17 UTC 版)
『はだしのゲン』は、中沢啓治による、日本の漫画作品。中沢自身の原爆による被爆体験を基にした自伝的な内容である。同漫画を原作として実写映画やアニメ映画・テレビドラマも製作された。戦中戦後の激動の時代を必死に生き抜こうとする主人公中岡ゲンの姿が描かれている。 当初は「週刊少年ジャンプ」で約1半年連載された[1]。その後は1975年から連載再開した。連載先が変わっていき、革新市民団体雑誌の「市民」(1975~76年)、日本共産党中央委員会の「文化評論」(1977~80年)を経て、1982から87年まで日教組の機関誌「教育評論[2]」に連載された[1][3][4]。
注釈
- ^ ただし、作中のエピソードの中には実際の体験と差異があるものもある。例えば原爆が投下されたときゲンは小学2年生だが、中沢自身は1年生の時である。他にも原爆投下直後の父や姉、弟の死を中沢自身は直接には見ていない(後に実際に立ち会った母から聞かされている)ことや、母の死に中沢は立ち会っていなかった(作中の戦後すぐの死去ではなく、終戦から20年後のことであり、中沢は当時東京にいた)ことなどが異なる。
出典
- ^ a b c d e “「ゴールデンカムイ」作者のデビュー漫画「復活」へ 終了後に再開の例ほかにも”. J-CAST トレンド (2022年11月19日). 2023年7月31日閲覧。
- ^ “資料一覧 – 広島平和記念資料館平和データベース”. hpmm-db.jp. 2023年7月31日閲覧。
- ^ a b c d e f 「マンガ研究」 p136 , 日本マンガ学会, 2007年
- ^ a b c “【今日は何の日?】6月4日=原爆の悲惨さを伝える漫画『はだしのゲン』が連載スタート(1973年) / 雑学ネタ帳”. kaigoshoku.mynavi.jp. 2023年7月31日閲覧。
- ^ a b はだしのゲン完全版7巻(金の星社発行)402 - 403頁『読者の皆さまへ』より
- ^ “読んでおきたい日本史モノマンガランキング - アニメランキング - goo ランキング”. NTTレゾナント (2013年8月18日). 2016年4月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年8月18日閲覧。
- ^ 共同通信 (2007年4月29日). “はだしのゲンで核軍縮訴え 外務省、NPT会議で配布”. 47NEWS (全国新聞ネット). オリジナルの2013年8月24日時点におけるアーカイブ。 2020年4月2日閲覧。
- ^ “天国の「はだしのゲン」作者と広島新井さんとの約束”. 日刊スポーツ. (2018年9月27日) 2021年1月29日閲覧。
- ^ 『おれは見た』は「平和の鐘シリーズ」に収録(中沢 1982r、中沢 1995u、中沢ほか & 中野 2013)。中沢 1994も参照。
- ^ (大村 2013, p. 20 - 21)。中沢はその後エンターテインメント系の読み切り作品を何編か『週刊少年ジャンプ』に掲載したが、『ゲン』ほどの人気は得られなかったという。
- ^ a b (中沢 2012, p. 185 - 186)
- ^ a b (大村 2013, p. 29 - 30)
- ^ a b c d (大村 2013, p. 62 - 65)。この内容は中沢の妻による証言である。
- ^ (中沢 2012, p. 187)
- ^ “はだしのゲン”. 株式会社汐文社(ちょうぶんしゃ). 2022年12月16日閲覧。
- ^ “単行本はまったく売れなかった⁉︎『はだしのゲン』がベストセラーになった真実 | 和樂web 日本文化の入り口マガジン”. 和樂web 日本文化の入り口マガジン. 2022年12月16日閲覧。
- ^ 岩波書店『図書』1975年9月号
- ^ 汐文社版単行本第3巻の後半部分(昭たちが疎開先で玉音放送を聴く場面から巻末まで)がそれに該当する。
- ^ “日本共産党100年への手紙 | | 有田芳生”. 毎日新聞「政治プレミア」. 2023年7月31日閲覧。
- ^ a b c “はだしのゲン(はだしのげん)とは? 意味や使い方”. コトバンク. 2023年7月31日閲覧。
- ^ 『完全版 はだしのゲン』第6巻目次より。
- ^ 中央公論新社・金の星社からの刊行分には「第二部 完」と記されている(『ジャンプ』掲載分の最終ページには「第一部 完」とある)。
- ^ “「はだしのゲン」の作者、視力の衰えで引退”. 読売新聞. (2009年9月15日). オリジナルの2009年9月23日時点におけるアーカイブ。 2020年4月3日閲覧。
- ^ ふるさと発スペシャル「はだしのゲンは終わらない 幻の続編からのメッセージ」日本放送協会広島放送局制作、2010年7月30日放送より。本番組内で、『幻の第二部』の原稿も紹介されている。
- ^ “「ゲン」作者が資料など寄贈”. 中国新聞. (2009年12月9日). オリジナルの2009年12月14日時点におけるアーカイブ。 2020年4月3日閲覧。
- ^ デジタル大辞泉プラス
- ^ 朝日新聞 2010年9月5日朝刊 教育面
- ^ 中沢啓治『「はだしのゲン」自伝』教育史料出版会、1994年7月、16-21,28-30頁。ISBN 4-87652-263-4。
- ^ 人件費削減も兼ねている。天野は社長から大月の半分の給料で雇われた。
- ^ 1951年までには麻薬や覚醒剤を取り締まる法律が制定されていたが、長年覚せい剤のヒロポンなどが薬局でも堂々と販売されていたため、中毒者が社会問題となっていた。
- ^ リンチに遭い、河原に放り投げられるまでは生きていた。最後の力を振り絞って、ゲンと隆太そして勝子のいる家にたどり着き、実情を話して力尽きて死亡した。
- ^ 後藤洋平・小玉重隆 (2013年2月15日). “「はだしのゲン」続きあった 中沢さん自宅に新たな遺稿”. ブック・アサヒ・コム (朝日新聞社). オリジナルの2013年8月27日時点におけるアーカイブ。 2020年4月3日閲覧。
- ^ a b 肥沼和之 (2011年6月30日). “「はだしのゲン」の中沢啓治、幻の第2部の構想を明らかに!ゲンが被爆者として差別されるという衝撃の展開”. シネマトゥデイ. 2013年8月27日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年4月3日閲覧。
- ^ “はだしのゲン”. はだしのゲン. ファミリー劇場. 2020年4月3日閲覧。
- ^ JASRACデータベースでは正式曲名として「はだしのゲン2オープニング・テーマ」「はだしのゲン2エンディング・テーマ」で登録されている。
- ^ 『北日本新聞』1985年8月6日付朝刊、テレビ欄。
- ^ 『朝日新聞』広島全県1995年8月5日および8月6日朝刊テレビ欄。
- ^ “講談師・神田香織さん 「はだしのゲン」にサックスや人形を加え「立体講談」化 被爆の地獄絵図、舞台で”. 毎日新聞 連載 特集ワイド (2020年9月4日). 2021年2月18日閲覧。
- ^ “「はだしのゲン」作者「核兵器ない世に」”. 日刊スポーツ. (2011年6月30日). オリジナルの2011年11月20日時点におけるアーカイブ。 2020年4月3日閲覧。
- ^ a b (中沢 1998g, 中公文庫版第7巻の解説)
- ^ 参照 朝日新聞1945年8月8日付
- ^ “教科書が教えない歴史”. 特集:原爆をいかに語り継ぐべきか 原爆を語るキーワード はだしのゲン. 自由主義史観研究会. 2011年11月20日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年8月25日閲覧。
- ^ “「はだしのゲン」問題のシーン一挙公開 これでも子供に読ませますか?”. 日本会議広島. 2020年4月3日閲覧。
- ^ “正論 11月号 (2013年10月01日発売) 【Fujisan.co.jp】の雑誌・定期購読【総力特集】『はだしのゲン』許すまじ! 問題シーンを一挙公開 これでも子供たちに読ませますか?]”. 産経新聞社. 2020年4月3日閲覧。
- ^ 池中美平 (2013年8月22日). “小・中・高・学校図書館における、「はだしのゲン」閉架処置への賛成意見書”. 平和と安全を求める被爆者たちの会. 2013年8月25日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年4月3日閲覧。
- ^ “【産経抄】8月24日”. MSN産経ニュース (産経新聞). (2013年8月24日) 2020年4月3日閲覧。
- ^ (中沢 1994, 作者の記述)
- ^ SHUEISHA JUMP REMIX版は、中公文庫コミック版を底本としている。
- ^ 中央公論新社版の区分に基づき、『第二部』と題されている(生前、中沢が構想を抱きながら執筆を断念した“第二部”とは異なる)。なお、2014年刊行のSHUEISHA JUMP REMIX版(表紙等に“第一部”の表記あり)とChukoコミックLite Special版の巻末には、連動する形で相互に広告が掲載されている。
- ^ 梓出版社刊『「はだしのゲン」がいた風景』p190~200記述より
- ^ (吉村 & 福間 2006, p. 196)
- ^ (吉村 & 福間 2006, 第五章)
- ^ 『クイックジャパン』Vol.12に掲載されたインタビューにて語っている。(中沢, アイカワ & BUDO 1997)
- ^ (中沢 1994)
- ^ 中沢啓治『はだしのゲン自伝』教育史料出版会(1994年)P211~213
- ^ フジテレビ『情報プレゼンター とくダネ!』2009年
- ^ “「はだしのゲン」平和教材から削除 「被爆の実態に迫りにくい」広島市教委 | 中国新聞デジタル”. 「はだしのゲン」平和教材から削除 「被爆の実態に迫りにくい」広島市教委 | 中国新聞デジタル. 2023年2月16日閲覧。
- ^ a b 宮川佐知子・山田奈緒 (2013年8月16日). “はだしのゲン:松江市教委、貸し出し禁止要請「描写過激」”. 毎日新聞. オリジナルの2013年8月24日時点におけるアーカイブ。 2020年4月3日閲覧。
- ^ “「はだしのゲン」を閲覧制限”. 中国新聞. (2013年8月17日). オリジナルの2013年8月17日時点におけるアーカイブ。 2020年4月3日閲覧。
- ^ “「はだしのゲン」を閲覧制限 松江市の小中学校”. 日本経済新聞. (2013年8月17日) 2020年4月3日閲覧。
- ^ “松江市教委の「はだしのゲン」閲覧制限要請 文科相「問題ない」”. 産経新聞社. (2013年8月21日)
- ^ a b 川瀬慎一朗 (2013年8月23日). “はだしのゲン:鳥取市立中央図書館が閲覧制限を撤回”. 毎日新聞. オリジナルの2013年8月26日時点におけるアーカイブ。 2020年4月3日閲覧。
- ^ 朝日新聞2013年10月17日社会面
- ^ 川瀬慎一朗 (2013年8月23日). “はだしのゲン:鳥取市立中央図書館でも事務室に別置き”. 毎日新聞. オリジナルの2013年8月22日時点におけるアーカイブ。 2020年4月3日閲覧。
- ^ a b “泉佐野市教委、小中学校の「はだしのゲン」回収”. 読売新聞. (2014年3月20日). オリジナルの2014年3月21日時点におけるアーカイブ。 2020年4月3日閲覧。
- ^ 「はだしのゲン」回収 泉佐野の市立小中の図書室 朝日新聞 2014年3月20日公開
- ^ a b c d e 日本放送協会. “ロシア語でも訴える「はだしのゲン」 今こそ耳を傾けてほしい | NHK | WEB特集”. NHKニュース. 2023年3月22日閲覧。
- ^ (Gleason & Nakazawa 2003, p. 51)
- ^ a b “プロジェクト・ゲンについて”. プロジェクト・ゲンの沿革、1976年. プロジェクト・ゲン. 2013年8月25日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年4月3日閲覧。
- ^ “英語・ロシア語以外のはだしのゲン”. プロジェクト・ゲン. 2023年3月22日閲覧。
- ^ “はだしのゲンをひろめる会”. はだしのゲンをひろめる会. 2023年3月22日閲覧。
- ^ 『読売新聞』、2009年7月26日、13S版38面
- ^ “オバマ大統領も読んで…「はだしのゲン」英語版完成”. ZAKZAK (産業経済新聞社). (2009年4月24日). オリジナルの2013年8月31日時点におけるアーカイブ。 2020年4月3日閲覧。
- ^ "マンガ家たちの"戦争"". NHK. 2009年8月6日. 2023年6月8日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年6月8日閲覧。
- ^ a b c (CiNii 2013)
「はだしのゲン」の例文・使い方・用例・文例
固有名詞の分類
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