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なぜ何もないのではなく、何かがあるのか
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2012/05/22 00:35 UTC 版)
(なぜ世界があるのか から転送)
「なぜ何もないのではなく、何かがあるのか?」(なぜなにもないのではなく、なにかがあるのか、英語:Why is there something rather than nothing?)[注釈 1]は哲学の一分野である形而上学の領域で議論される有名な問題の一つ。- ^ 菅沼聡 (2004)
- ^ Rescher (1984)
- ^ 20世紀のアメリカの哲学者ロバート・ノージックはユダヤ教の聖典タルムードの第一部ミシュナーの一節を引き、そこにこうした問いを問うことの危険性が示されていると思われると記している。次のような一節である。 「上には何があるか、下には何があるか、前には何があるか、後には何があるか。この四つのことがらについて思いをめぐらすもの、その者はこの世に生を受けぬほうがましであっただろう」(典礼書アッガダー2:1、戸田山和久(訳)) ノージック (1997) p.171
- ^ 以下、Inwagen (2006) の冒頭文より。「表題の問い[そもそもなぜ何かがあるのか]はあらゆる問いの中でも、もっとも深遠で困難なものだとされている。何人かの論者は実際、この問いが心を引き裂きかねない危険なものだと述べてきた。だが恐慌に陥らなければ、われわれはこの問いをいくらか推し進めることができる。」
- ^ 雨宮民雄 (2002), p.677
- ^ ライプニッツ (2005) pp. 203-204
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- ^ 土屋賢二 (1998) p.121
- ^ 1929年末に行った倫理についての講演でウィトゲンシュタインは次のような事を語っている。「いま私は次のように言いたくなる。世界の存在という奇跡の、言語における正しい表現とは、言語のなかの命題のどれでもなく、言語の存在そのものである、と。」 (飯田隆 2005 pp.111-112)。「この体験を記述する最良の方法と私が信ずるのは、私がこの経験をするとき私は世界の存在に驚く、と言うことである。そのばあい私は、<何かが存在するとはなんと不思議なことだろう>とか、<世界が存在するとはなんと不思議なことだろう>といった言い方をしたくなる。」(木田元 (1993), p.79)
- ^ 土屋賢二 (1998) pp. 108-109
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- ^ 松井孝典 『宇宙誌』 <岩波現代文庫> 岩波書店 ISBN 978-4-00-600230-5 p.328
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- ^ Nozik(1981)
- ^ インワーゲンはノージックの1981年の論文を読んだ記憶があるが、そこで統計的論証が行われていたことははっきり覚えていなかったという事を、注で書いている。Inwagen(1996)
- ^ "the universe is just there, and that's all." Russell, Bertrand, and Frederick Copleston (1964), “Debate on the Existence of God,” in John Hick, ed., The Existence of God, New York: Macmillan. p.175
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- ^ Seachris (2011)
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