三省堂 大辞林 |
なかやま-ただみつ 【中山忠光】
防府歴史用語辞典 |
中山忠光 (なかやまただみつ)
明治天皇のおじ(母の弟)で、熱心な尊王攘夷派でした。1863年(文久3年)に天誅組の変[てんちゅうぐみのへん]が失敗した後、富海の大和屋政助[やまとやまさすけ]の船で長州藩にのがれましたが、保守派が藩の主導権をにぎると暗殺されました。現在、下関市にある墓は国の史跡に指定されています。
関連項目
美術人名辞典 |
中山忠光
読み方:なかやま ただみつ
幕末の公家。中山忠能の子。長兄・忠愛の養子となる。弘化2年(1845)生。文久3年(1863)攘夷親征を唱え、吉村寅太郎等に迎えられて天忠組の首領となる。後長洲にのがれ暗殺される。元治元年(1864)歿、20才。
幕末の公家。中山忠能の子。長兄・忠愛の養子となる。弘化2年(1845)生。文久3年(1863)攘夷親征を唱え、吉村寅太郎等に迎えられて天忠組の首領となる。後長洲にのがれ暗殺される。元治元年(1864)歿、20才。
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