とかくじのまつえとは? わかりやすく解説

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等覚寺の松会

名称: 等覚寺の松会
ふりがな とかくじのまつえ
種別1: 風俗習慣
保護団体名: 等覚寺保存会
指定年月日 1998.12.16(平成10.12.16)
都道府県(列記): 福岡県
市区町村(列記): 京都郡苅田町大字山口
代表都道府県 福岡県
備考 4月第3日曜日
解説文: 等覚寺の松会は福岡県京都郡苅田町行われる。そこは明治廃仏毀釈までは普智山【ふちさん】等覚寺があった。等覚寺英彦山などとともに豊前六峰と呼ばれた修験道拠点一つであった等覚寺という名称は今でも大字山口字名として残り貫山南東斜面中腹位置する標高三〇メートルほどの山間小集落である。
 等覚寺の松会は、五穀豊穣疫病退散国家安泰祈願する行事で、かつては二月十九日実施されていたが、現在は四月第三日曜日行われている。
 四月一日坪草刈り起こしが行われ、マツバシラとかハシラマツともいわれる添え木取り付け三三所を太い縛りつけ、縄で四方から引っ張って立てておく。
 四月第二日曜日には、役出し座・注連下【しめお】ろし・幣【へい】はぎ・盛一臈御座【もりいちろうござ】、綱打ち綱掛けなどが行われる。役出し座は、会に奉仕する人たちが白山多賀神社集まり会での役を決め行事で、この日から会行事が始まるという。
 注連下ろしでは、白山多賀神社入口鳥居奥の院青龍窟)、禊ぎをする川・施主の家の門口注連縄張る
 幣はぎは御幣作ることで、バン(板)・紙・幣串を掛け軸前に供えて清めると宮総代大幣三本祓い一三本を作る
 盛一臈御座白山多賀神社拝殿行われる翌年の盛一臈御座といわれる施主決め行事で、杯が来年施主渡されて謡がうたわれ、盛一臈受け渡しが行われる。
 綱打ちとは、山麓谷・山本村稲光【いなみつ】の三集落において、掛ける大綱作ることでそれぞれ一本ずつの大綱を打つ。できあがった大綱は、それぞれ十数人の若者担がれ集落内を練り歩き婚礼誕生などの慶事のあった家を廻って酒肴を受ける。その後白山多賀神社まで運んでお祓い受けた後、綱掛といって掛ける
 四月第三日曜日三日前に塩会が行われる。施主次期施主白衣修験者姿で竹筒携行しホラ貝吹き鳴らしながら、宮総代などとともに白山多賀神社から徒歩で山を下り、約一〇キロメートル離れた蓑島【みのしま】の海岸向かい、海につかって身を清め潮水竹筒詰め白山多賀神社まで持ち帰って神社供える
 四月第三土曜日午後に神輿洗いと笠揃えが行われ、会に用い道具類準備する
 四月第三日曜日会の当日早朝施主禊ぎ神社への大幣奉納が行われ、午後にが行われる。会では、神幸行列の後に獅子舞が行われ、田打ち・畦切り・畦塗り代掻【しろか】き・田植えはらみ女などの「田行事」が行われる。続いて鬼会が行われた後、鉞舞【まさかりまい】・長刀舞【なぎなたまい】などの「刀行事が行われてから、幣切りが行われる。
  幣切りは役【まつやく】と呼ばれ花笠被った施主大幣受け取って担ぎ斜めに背負って白布縛りつけ、途中まで縄梯子登ると太い伝わって廻りながらよじ登る頂上登り詰めると、神輿方に向かって天下泰平国土安全・五穀成就祈願文読み上げ右手大幣持って天地四方清めその後左手大幣持ち替え右手刀を抜いて大幣幣串一気切り落とす
  翌日倒して解体し来年施主権現様御絵図御神刀御神酒スズ渡され会行事終了する
  等覚寺の松会は、わが国民間信仰大きな影響与えた修験伝統をよく伝え特色ある行事である。

等覚寺の松会

名称: 等覚寺の松会
ふりがな とかくじのまつえ
種別1: 風俗習慣
保護団体名: 「等覚寺の松会」保存会
選択年月日 1975.12.08(昭和50.12.08)
都道府県(列記): 福岡県
市区町村(列記): 京都郡苅田町大字山口
代表都道府県 福岡県
備考 所在地同一都道府県内のもの(このデータ種別1から移行しています)
解説文:



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