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つばめ (列車)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2012/03/20 18:39 UTC 版)
つばめとは、鉄道省、日本国有鉄道(国鉄)ならびに九州旅客鉄道(JR九州)による特急列車である。
本項では、国鉄およびJRにおいて「つばめ」を名乗った列車について記すと共に、国鉄時代に「つばめ」とほぼ同区間で運転されていた姉妹特急「はと」、および中国大陸の満州(中国東北部)で運転されていた南満州鉄道の特急「はと」についてもあわせて記述する。
なお、現在JR九州で運行されている九州新幹線「つばめ」、およびその直接の前身であるJR九州の在来線特急「つばめ」「リレーつばめ」に関しては、本項では概略のみ記述することとし、詳細については「つばめ (JR九州)」を参照されたい。
- ^ 列車の沿革に関しては、東海道本線優等列車沿革と山陽本線優等列車沿革の項目も参照
- ^ a b c JR九州はこれに先立ち、ほかのJR各社か事前了承を得た “春を告げるイメージ 九州新幹線は「つばめ」”. 西日本新聞 つばめ開業. 西日本新聞社 (2003年3月21日). 2010年7月24日閲覧。 かつて国鉄九州支社が、特急・急行の愛称は本社が決めることになっていた(田崎乃武雄「急行列車の愛称」鉄道ピクトリアル 1959 年 3 月号 (No. 92) 『鉄道ピクトリアルアーカイブスセレクション 5 国鉄ダイヤ改正 1950』鉄道図書刊行会 所収)にもかかわらず本社に諮ることなく博多・別府間の気動車急行を「ひかり」と命名し、後の新幹線に「ひかり」を使うべく温存していた本社の不興を買った(田崎乃武雄「国鉄の旅客・営業にたずさわって」『鉄道ピクトリアルアーカイブスセレクション 5 国鉄ダイヤ改正 1950』鉄道図書刊行会 p.9)のとは対照的である。
- ^ 公募結果は「富士」を筆頭に「燕」「櫻」「旭」「隼」「鳩」「鷗」の順であった (田崎乃武雄「急行列車の愛称」前掲)。なおこのときの表記は漢字書きであったが、当時の時刻表などでも漢字表記と平仮名表記が混在しており、また最後尾に掲げられたテールマークも平仮名であったため、平仮名で「つばめ」と表記したとしても、誤りとはいえない。
- ^ 老川慶喜 『鉄道』 東京堂出版〈日本史小百科 - 近代〉、1996年9月17日、初版。ISBN 978-4490202908 p.243
- ^ 老川慶喜『鉄道』前掲 p.244
- ^ 鉄道先進国のイギリスやアメリカでは「フライング・スコッツマン」などで線路の間に水槽(ウォータートラフ)を設けそこから走行中に炭水車から樋を下げて水を汲み上げる機構(ウォーター・スクープ)が実用化されており、静岡-浜松間の当時は田園地帯の直線区間での実施が検討されたが、設備投資やスケジュールの都合上不可能であった。
- ^ 走行中の補機解放は当時からさほど難しい技術ではなかったと見られ、同区間を走る多くの列車や他の勾配線区でも実施されていた。しかし、他の列車は推進力確保のため、トルクの大きい貨物用の9600形またはD50形を補機に使用していたのに対し、「燕」は当初高速運転の可能なC53形3両 (C53 81・82・84の3両。81 - 83の3両であったとの説も存在する。これら3両は沼津機関庫に配置された。) が限定運用で担当し、異例のケースとなった。C53形固有の起動不良は本務機のC51形が引き上げれば問題なしとされたが、沼津機関区はC53形を使いこなせず、後半はD50形を補機に使用するように変更された。
- ^ 当初は走行中に補機を連結する案もあり、実際に試験も行われたが、好成績は収めたものの実用化には至らなかった。
- ^ 炭水車については鉄道史料第93号 p.57による。通路を設けた炭水車は「コリドーテンダー」と呼ばれ、欧米でも使用例がある。なお、『高田隆雄 写真集 追憶の汽車 電車』(鉄道友の会 編、交友社、1998年)p.22にC51形の運転台側から当該改造を施された炭水車を撮影した写真の掲載があり、石炭庫上に枠を組んで通路上部に手すりを設置してあったことがわかる。
- ^ 現在では安全上、この様な走行中に車外に出て交替する方法は禁止されている。
- ^ 「神戸から京都へタッタ一時間だ」“燕”より早いスピードアップ 省電の痛快な計画神戸新聞 1935.12.17 神戸大学電子図書館システム
- ^ 「へいわ」は当時の加賀山国鉄副総裁が平和を願うという意味で暫定的に定めたものである。
- ^ この方向転換は戦前から実施されていた。
- ^ 宮脇俊三編著、原口隆行企画・執筆『時刻表でたどる鉄道史』JTB、1997年、p.107
- ^ 浅野明彦『昭和を走った列車物語』JTB、2001年、p.89
- ^ 「つばめ」「はと」の初期をのぞいて使用された展望車は、「つばめ」にマイテ39、マイテ49 2、「はと」用にマイテ58。電化直前期の「つばめ」「はと」の車両については、椎野剛「つばめ」、TY生「はと」(ともに『鉄道ピクトリアル アーカイブス セレクション 5 国鉄客車ダイヤ改正 1950』電気車研究会、2004年)に詳述されているが、マイテ39が二重屋根であったことは当時から問題とされていた。なお両列車の最終日の編成は同p.139に記載。
- ^ 主電動機はMT46A形(端子電圧375V時1時間定格出力100kW)。なお、当時の「つばめ」は電動車6両と主電動機を搭載しない制御車・付随車5両で編成されており、各車種の需要の問題から電動車比率の引き上げは困難な状況であった。この編成でも平坦線では多少の余力があった(1960年には一部の東海道特急で付随車を1両増結して12両編成としている)が、22.6‰(パーミル)(1000メートルあたり22.6メートルの高低差)の急勾配区間が10kmに渡って連続する「瀬野八」を登坂するには出力が明らかに不足しており、また下り勾配での抑速についても151系は主制御器(CS12形)に発電ブレーキによる抑速ブレーキが非搭載のため、様々な問題を抱えていた。これらの問題は、東海道新幹線開業後、1965年に主電動機(MT54形。端子電圧375V時1時間定格出力120kW)や主制御器(CS15B形。戻しノッチ機構および抑速ブレーキ搭載)を新製交換して181系に改造するまで、151系のウィークポイントの一つであった。
- ^ この措置は同様にMT46Aを主電動機とする153系電車を使用する山陽本線急行でも採られている。153系の場合は、編成両端の連結器が自動連結器であった151系と異なり、国鉄電車標準の密着式連結器であったため直接補機を連結できず、電車用密着連結器と機関車用自動連結器をそれぞれ片方の車端部に装着した専用の控車を機関車と電車の間に挿入することを強いられている。
- ^ このサヤ420形は421系のパンタグラフ付電動車モハ420形3両を早期落成させて電源車としたものである。後に「つばめ」「はと」が交直流電車化されて役目を終えたサヤ420形は当初の予定どおりモハ420-21 - 23となった。
- ^ 以降、「この名称に釣り合うだけの格式のある列車がない」という理由から、1992年7月の「つばめ」登場まで、定期運転される列車の名称には用いられることのないままに推移した。
- ^ 1981年、翌年の東北・上越新幹線開業に際し、列車名選考委員会にて上越新幹線の速達型列車の愛称が「つばめ」に決まりかけたが、当時国鉄旅客局長の須田寛が新潟鉄道管理局に確認を取ったところ、ツバメは新潟まで飛んでこないということが判明し、結局「あさひ」に決定した (宮脇俊三 『終着駅』河出書房新社、pp.142-144、2009年 ISBN 9784309019383)。
- ^ JR 九州での表記は「ビュッフェ」であった。山田亮「わが体験的ビュフェ論」『鉄道ピクトリアル』2007年10月号 p.59
- ^ 交通新聞 2003年3月25日
- ^ a b バス・ジャパン3号 「特集:国鉄バスのゆくえ」p.3
- ^ なお、冷房装置は1942年夏まで使用されていたという説も存在する
- ^ 『JR気動車客車編成表』'00年版 ジェー・アール・アール 2000年 ISBN 4-88283-122-8
- 1 つばめ (列車)とは
- 2 つばめ (列車)の概要
- 3 JR九州の特急・新幹線
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