三省堂 大辞林 |
たなかだて-あいきつ 【田中館愛橘】
美術人名辞典 |
田中館愛橘
読み方:たなかだて あいきつ
物理学者・ローマ字論者・理学博士。岩手県生。東大卒。ヨーロッパに留学後、帝国大学教授となる。重力・地磁気・地震・測地・度量衡・航空の諸方面にわたり研究し、また日本式ローマ字の普及に努めた。文化勲章受章。昭和27年(1952)歿、95才。
物理学者・ローマ字論者・理学博士。岩手県生。東大卒。ヨーロッパに留学後、帝国大学教授となる。重力・地磁気・地震・測地・度量衡・航空の諸方面にわたり研究し、また日本式ローマ字の普及に努めた。文化勲章受章。昭和27年(1952)歿、95才。
地図測量人名事典 |
田中舘愛橘(たなかだてあいきつ 1856-1952)
東京大学理学部教授、理学博士、貴族院議員。
田中舘愛橘、南部藩士であった稲蔵の長男として岩手県福岡町(現二戸町)に生まれた。
東京大学理学部を卒業し、濃尾大地震で根尾谷断層を発見し、地磁気が地震のため変動することを初めて論証したこと、そして全国で地磁気測量と緯度変化を観測し、我が国の測地・地震・磁気学の創始者として知られている。
「藪柑子集」、「防災と国防」などで地図測量を仕事とするものにとってはなじみの寺田寅彦が、東京帝国大学物理学科に席を置いたときの教官が、田中舘であり、それ以後寺田の研究や考え方に少なからず影響を与えた。 田中舘は盛岡藩校などで和漢学を修め、明治5年(1872)東京に移住し、慶應義塾などで英語を学び、東京帝国大学理学部に入学し物理学を専攻した。卒業後は英・独に留学し、東大教授となった。その学生時代(明治13年1880)に、外国教師T・メンデンホールに助力して、富士山頂で重力測定を行い978.86galを得て、富士山の密度を5.77g・cm-3を算出した。
1882年以降札幌、鹿児島、那覇、小笠原の各地で重力を測定した。地磁気測量でも、自ら創案した電磁方位計を利用して、水平分力、偏角、伏角の3要素を測定した。1887年(明治20年)に長岡半太郎らと行った日本各地の重力測定、地磁気測定のうち、地磁気測定は、地質調査所の関野修蔵・神足勝記が明治15、16年に行った最初の全国地磁気測量に続くものである。
1891年の濃尾大地震後には、小藤文次郎教授とともに現地に入り根尾谷断層を発見し、日本で初めて確認された断層地震であることを明らかにする。
後年は、1909年からの気球の研究に始まって、第一次世界大戦が始まるころには、航空機研究の重要性を訴え東大航空研究所の設立に奔走する。また、メートル法普及のほか、科学研究における言葉の問題を緩和しようとローマ字運動にも努力する。田中舘の日本式ローマ字は、1937年の内閣訓令、いわゆる「訓令式」の基となっている。のちに文化勲章を受章するととものに、貴族院議員となった。
田中舘愛橘、南部藩士であった稲蔵の長男として岩手県福岡町(現二戸町)に生まれた。
東京大学理学部を卒業し、濃尾大地震で根尾谷断層を発見し、地磁気が地震のため変動することを初めて論証したこと、そして全国で地磁気測量と緯度変化を観測し、我が国の測地・地震・磁気学の創始者として知られている。
「藪柑子集」、「防災と国防」などで地図測量を仕事とするものにとってはなじみの寺田寅彦が、東京帝国大学物理学科に席を置いたときの教官が、田中舘であり、それ以後寺田の研究や考え方に少なからず影響を与えた。 田中舘は盛岡藩校などで和漢学を修め、明治5年(1872)東京に移住し、慶應義塾などで英語を学び、東京帝国大学理学部に入学し物理学を専攻した。卒業後は英・独に留学し、東大教授となった。その学生時代(明治13年1880)に、外国教師T・メンデンホールに助力して、富士山頂で重力測定を行い978.86galを得て、富士山の密度を5.77g・cm-3を算出した。
1882年以降札幌、鹿児島、那覇、小笠原の各地で重力を測定した。地磁気測量でも、自ら創案した電磁方位計を利用して、水平分力、偏角、伏角の3要素を測定した。1887年(明治20年)に長岡半太郎らと行った日本各地の重力測定、地磁気測定のうち、地磁気測定は、地質調査所の関野修蔵・神足勝記が明治15、16年に行った最初の全国地磁気測量に続くものである。
1891年の濃尾大地震後には、小藤文次郎教授とともに現地に入り根尾谷断層を発見し、日本で初めて確認された断層地震であることを明らかにする。
後年は、1909年からの気球の研究に始まって、第一次世界大戦が始まるころには、航空機研究の重要性を訴え東大航空研究所の設立に奔走する。また、メートル法普及のほか、科学研究における言葉の問題を緩和しようとローマ字運動にも努力する。田中舘の日本式ローマ字は、1937年の内閣訓令、いわゆる「訓令式」の基となっている。のちに文化勲章を受章するととものに、貴族院議員となった。
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