たてもん祭り
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たてもん祭り(たてもんまつり)は、富山県魚津市の諏訪神社の夏季祭礼である。1970年(昭和45年)から魚津観光まつり(後にじゃんとこい魚津まつり)のイベントのひとつとなり、毎年8月の第1金曜日・土曜日の2日間に渡り行われている。2006年(平成18年)までは8月7日・8日に行なわれていた。なおこの祭礼は、国の重要無形民俗文化財に指定されているほか、ユネスコの無形文化遺産に登録されている。
- ^ 『山・鉾・屋台 無形文化遺産 18府県の祭り33件一括 ユネスコ補助機関勧告 県内から3件』北日本新聞 2016年11月1日1面
- ^ 『高岡御車山 魚津たてもん 城端曳山 無形文化遺産に登録、山 鉾 屋台 18府県33件一括 ユネスコ委』北日本新聞 2016年12月2日1面
- ^ 『ユネスコ登録も担い手が不足 魚津たてもん祭り 少子高齢化進み』北日本新聞 2018年8月19日25面
- ^ 『魚津たてもん 曳き回しせず』北日本新聞 2020年4月16日27面
- ^ a b 『たてもんに北陸新幹線 東京のイベント来月引き回し PRデザインで下額新調』北日本新聞 2014年12月22日25面
- ^ 『展示用たてもん登場 海の駅蜃気楼 本物そっくり』北日本新聞 2017年12月10日22面
- ^ 『子どもたてもん新調 新川森林組合 スギ贈る』北日本新聞 2022年4月28日20面
- ^ 『子どもたてもん完成 魚津こども園 川原保育園 来月 祭りで引き回し』北日本新聞 2022年7月15日20面
- ^ 『全国山・鉾・屋台魚津大会で初 たてもん3基同時回転』北日本新聞 2012年5月1日25面
- ^ 『豪快3基引き回し・魚津春のたてもん』北日本新聞 2012年5月13日1面
- ^ 『よっしゃ来い!!CHOUROKUまつり 明日 迫力満点たてもん曳き回し』北日本新聞 2014年5月17日23面
- ^ 『たてもんにドーム沸く ふるさと祭り東京 魚津の団員曳き回し』北日本新聞 2015年1月13日22面
- ^ 『東京ドームでたてもん 来年1月 全国の祭り集結』北日本新聞 2017年10月11日31面
- ^ 『魚津 伝統継承へプロジェクト始動 「たてもんの森」植樹』北日本新聞 2017年10月29日24面
- 1 たてもん祭りとは
- 2 たてもん祭りの概要
- 3 たてもんの森
たてもん(北6町)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/02 17:28 UTC 版)
現在は廃絶したが湊町、本川町、中町、浜町、今町、北新町の北6町では車輪付の台座(地山)に心棒を立てそこに竹を編んだ枠をつくり和紙を貼った後彩色した人形を曳き回していた。1803年(享和3年)頃に南10町に対抗して造り曳き始めたもので、題材は歴史上・伝説上の人物、物語の主人公など毎回変更されたようだが毎年必ず出されたわけではない。大きさは台座を含め低いもので12m~15m、高いものは17m~18mもの高さがあった。明治中期までは南10町の曳山と北6町のたてもんが曳き回されていた。しかしこの頃より町には電線が張り巡らされるようになり曳山は鉾柱(心柱)を切り下げるなどして対応できたが、たてもんは対応ができず明治後期にはたてもんを出す町が減っていった。その後1915年(大正4年)大正天皇の即位の大礼を祝い湊町、中町、北新町、今町の4町が高さ約9.1mと全盛期に比べ背の低いたてもんを曳き回したのを最後に出されなくなった。
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たてもん
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/26 15:41 UTC 版)
たてもんは、帆掛け舟(舟型)を模した万燈で、長さ約16メートルの太い心柱に、帆に見立てた底辺約8mの大きな二等辺三角形の枠に、10-12段の横木を渡す。横木には60から100あまりの縁起の良い図柄を描いた丸提灯または雪洞(ぼんぼり)を吊るし下げる。この三角枠上部には恵比寿を描いた提灯、心柱最上部には鉾留(ほこどめ)として八角行燈を据え神の依代とする。八角行燈からは割り竹で出来た柳(枝垂〔しだれ〕)と言われる8本の長い髯籠(ひげご)を垂らす(現在は小さな電球がたくさん付けられている)。これは、悪霊が神様への贄にとりつかぬように睨みを利かせるためである。三角形の枠最下部には1枚、高さ約80cm、長さ約4mの下額(絵額)に武者絵等を描き、左右に2枚、両面に2枚飾る。これらを2.6m×2.2m角、重さ約1.5トンのそり台中央に立てる。車輪のないそり台なのは、もともと浜辺や砂利道で曳いていたからである。 そり台には山車を曳くために長さ約10mの2本の担ぎ棒に数本の横木を渡す。そこに縄で網掛けし囃子担当の子供たちが乗り込み笛や太鼓で囃す中、80人から100人程で総重量5トン程の舟形万燈を威勢良く曳き回す。また組み立てには釘は1本も使わず縄のみで組立てていくが、漁師独特の結び方を駆使している。現在のようなたてもんの形になったのは享保年間(1720年頃)といわれ、現在の大きさになるのは昭和の初め頃になってからである。提灯の数は、明治時代には約25張り、大正時代には約50張りであった。また現在提灯の絵柄は様々であるが、昔はどの町も絵柄は魚であったといわれる。これは神様への贄である魚を舟に大量に積んであることにより、神様に喜んで頂くためである。 夕刻にはたてもん7基の提灯に火が灯り諏訪神社前に集まってくる。くじ引きで諏訪神社境内へ入る順番を決めると、午後8時30分頃から1基ずつ順番に境内社殿横の広場(駐車場)に入り、担ぎ手とたてもんから繋げた8本の控え綱を持つ各若衆が、勢い良く5トン程のたてもん自体を3回転しこれを2回行う。8本の控え綱を持つ各若衆は神様に良く見ていただくため、飛び跳ねながら、時に縄にぶら下がり宙を舞うように回ると、提灯と柳(枝垂)の明かりが美しい光の輪をつくり祭りは最高潮に達する。なお控え綱は、高くて平たいたてもんを回す時に、バランスを取って傾いたり倒れたりすることを防止する役目がある。回し終えると、たてもんは社殿正面に移動し、町内関係者は社殿でお祓いを受け次の町内に引き継ぐ、すべての町内が回し終えるのは午後11時頃となる。その後散会し各町内で直会(なおらい)という労をねぎらう会が行われ終了となる。 なお、魚津市内のありそドームには、提灯60張りの小型たてもん、海の駅蜃気楼には、高さ7m、提灯58張りの小型たてもん、新川文化ホール(ミラージュホール)には、たてもんの縮小模型(提灯60張り)、魚津歴史民俗博物館には、たてもんの縮小模型(提灯75張り)が常設展示されている。
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