たてもんとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 方言 > 博多弁 > たてもんの意味・解説 

たてもん【建物】

方言味・解
たてもん【建物】名詞)建物。

たてもん祭り

(たてもん から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/26 15:41 UTC 版)

たてもん祭り(たてもんまつり)は、富山県魚津市諏訪神社の夏季祭礼である。1970年昭和45年)から魚津観光まつり(後にじゃんとこい魚津まつり)のイベントのひとつとなり、毎年8月の第1金曜日・土曜日の2日間に渡り行われている。2006年平成18年)までは8月7日・8日に行なわれていた。なおこの祭礼は、国の重要無形民俗文化財に指定されているほか、ユネスコ無形文化遺産に登録されている。


  1. ^ 『山・鉾・屋台 無形文化遺産 18府県の祭り33件一括 ユネスコ補助機関勧告 県内から3件』北日本新聞 2016年11月1日1面
  2. ^ 『高岡御車山 魚津たてもん 城端曳山 無形文化遺産に登録、山 鉾 屋台 18府県33件一括 ユネスコ委』北日本新聞 2016年12月2日1面
  3. ^ 『ユネスコ登録も担い手が不足 魚津たてもん祭り 少子高齢化進み』北日本新聞 2018年8月19日25面
  4. ^ 『魚津たてもん 曳き回しせず』北日本新聞 2020年4月16日27面
  5. ^ a b 『たてもんに北陸新幹線 東京のイベント来月引き回し PRデザインで下額新調』北日本新聞 2014年12月22日25面
  6. ^ 『展示用たてもん登場 海の駅蜃気楼 本物そっくり』北日本新聞 2017年12月10日22面
  7. ^ 『子どもたてもん新調 新川森林組合 スギ贈る』北日本新聞 2022年4月28日20面
  8. ^ 『子どもたてもん完成 魚津こども園 川原保育園 来月 祭りで引き回し』北日本新聞 2022年7月15日20面
  9. ^ 『全国山・鉾・屋台魚津大会で初 たてもん3基同時回転』北日本新聞 2012年5月1日25面
  10. ^ 『豪快3基引き回し・魚津春のたてもん』北日本新聞 2012年5月13日1面
  11. ^ 『よっしゃ来い!!CHOUROKUまつり 明日 迫力満点たてもん曳き回し』北日本新聞 2014年5月17日23面
  12. ^ 『たてもんにドーム沸く ふるさと祭り東京 魚津の団員曳き回し』北日本新聞 2015年1月13日22面
  13. ^ 『東京ドームでたてもん 来年1月 全国の祭り集結』北日本新聞 2017年10月11日31面
  14. ^ 『魚津 伝統継承へプロジェクト始動 「たてもんの森」植樹』北日本新聞 2017年10月29日24面


「たてもん祭り」の続きの解説一覧

たてもん(北6町)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/02 17:28 UTC 版)

氷見祇園祭」の記事における「たてもん(北6町)」の解説

現在は廃絶した湊町本川町中町浜町今町北新町の北6町では車輪付の台座地山)に心棒立てそこに竹を編んだをつくり和紙貼った後彩色した人形を曳き回していた。1803年享和3年)頃に南10町に対抗して造り曳き始めたもので、題材歴史上伝説上の人物物語主人公など毎回変更されたようだ毎年必ず出されわけではない大きさ台座含め低いもので12m~15m、高いものは17m~18mもの高さがあった。明治中期までは南10町の曳山と北6町のたてもんが曳き回されていた。しかしこの頃より町には電線張り巡らされるようになり曳山は鉾心柱)を切り下げるなどして対応できたが、たてもんは対応ができず明治後期にはたてもんを出す町が減っていった。その後1915年大正4年大正天皇即位の大礼祝い湊町中町北新町今町の4町が高さ約9.1mと全盛期比べ背の低いたてもんを曳き回したのを最後に出されなくなった

※この「たてもん(北6町)」の解説は、「氷見祇園祭」の解説の一部です。
「たてもん(北6町)」を含む「氷見祇園祭」の記事については、「氷見祇園祭」の概要を参照ください。


たてもん

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/26 15:41 UTC 版)

たてもん祭り」の記事における「たてもん」の解説

たてもんは、帆掛け舟舟型)を模した万燈で、長さ16メートルの太い心柱に、帆に見立てた底辺8m大きな二等辺三角形に、10-12段の横木を渡す。横木には60から100あまりの縁起良い図柄描いた丸提灯または雪洞ぼんぼり)を吊るし下げる。この三角上部には恵比寿描いた提灯心柱最上部には鉾留(ほこどめ)として八角行燈据え神の依代とする。八角行燈からは割り竹出来た垂〔しだれ〕)と言われる8本の長い髯籠(ひげご)を垂らす(現在は小さな電球がたくさ付けられている)。これは、悪霊神様への贄にとりつかぬように睨みを利かせるためである。三角形最下部には1枚、高さ約80cm、長さ4mの下額(絵額)に武者絵等を描き左右に2枚両面2枚飾る。これらを2.6m×2.2m角、重さ1.5トンのそり台中央に立てる。車輪のないそり台なのは、もともと浜辺砂利道で曳いていたからである。 そり台には山車曳くために長さ約10mの2本の担ぎ棒数本横木を渡す。そこに縄で網掛け囃子担当の子供たちが乗り込み笛や太鼓囃す中、80人から100人程で総重量5トン程の舟形万燈威勢良く曳き回す。また組み立てには釘は1本も使わず縄のみで組立てていくが、漁師独特の結び方駆使している。現在のようなたてもんの形になったのは享保年間1720年頃)といわれ、現在の大きさになるのは昭和初めになってからである。提灯の数は、明治時代には約25張り大正時代には約50張りであった。また現在提灯絵柄は様々であるが、昔はどの町も絵柄であったといわれる。これは神様への贄であるを舟に大量に積んであることにより、神様喜んで頂くためである。 夕刻にはたてもん7基の提灯に火が灯り諏訪神社前集まってくる。くじ引き諏訪神社境内へ入る順番決めると、午後8時30分頃から1基ずつ順番境内社殿横の広場駐車場)に入り担ぎ手とたてもんから繋げた8本の控え綱を持つ各若衆が、勢い良く5トン程のたてもん自体3回転しこれを2回行う。8本の控え綱を持つ各若衆神様良く見ていただくため、飛び跳ねながら、時に縄にぶら下がり宙を舞うように回ると、提灯垂)の明かり美し光の輪をつくり祭り最高潮に達する。なお控え綱は、高くて平たいたてもんを回す時にバランス取って傾いたり倒れたりすることを防止する役目がある。回し終えると、たてもんは社殿正面移動し町内関係者社殿お祓いを受け次の町内引き継ぐすべての町内回し終えるのは午後11時頃となる。その後散会し町内直会なおらい)という労をねぎらうが行われ終了となる。 なお、魚津市内のありそドームには、提灯60張り小型たてもん、海の駅蜃気楼には、高さ7m、提灯58張り小型たてもん、新川文化ホールミラージュホール)には、たてもんの縮小模型提灯60張り)、魚津歴史民俗博物館には、たてもんの縮小模型提灯75張り)が常設展示されている。

※この「たてもん」の解説は、「たてもん祭り」の解説の一部です。
「たてもん」を含む「たてもん祭り」の記事については、「たてもん祭り」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「たてもん」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「たてもん」の関連用語

たてもんのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



たてもんのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
博多弁推進会博多弁推進会
©1999-2024 博多弁推進会
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのたてもん祭り (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの氷見祇園祭 (改訂履歴)、たてもん祭り (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS