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たけしプロレス軍団

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2012/01/24 02:45 UTC 版)

たけしプロレス軍団(たけしプロレスぐんだん)は、ラジオ番組の企画から生まれたプロレス団体、あるいはその企画。略称はTPG。




  1. ^ 秋吉、高山、脇田らはその後FMWの旗揚げにも参加したが、水に馴染めず短期間で離脱。さらにユニバーサル・プロレスリングへ移籍した。
  2. ^ 新日本プロレスは1988年2月3日に両国国技館での興行を予定していたが、使用禁止になったため、同年2月5日に後楽園ホールで振替興行を行った。
  3. ^ 1989年2月22日の両国国技館大会で解禁。この時のメインイベントには「みそぎ」として長州力 vs アントニオ猪木戦が組まれた。
  4. ^ 『あと12月は(中略)なんたってパニックだったのは国技館のTPGだよな。ホントはオレ行きたくなかったんだけどさ、あのザマだろ。帰れコールまであがっちゃったりさ、ひでぇ目にあったよ。ビッグ・バン・ベイダーってのは、ちょっと強すぎたけどネ。だけど群衆心理ってのは怖いよな。あれだけの人数がいっせいに、「たけし!帰れ!」だものな。後で聞いたら、あれ、先頭になって言ってたの高田文夫軍団のセピアの連中なんだって。とんでもないよな。』(「ビートたけしの幸せ丸十年」、ニッポン放送出版、1990年、311-312頁。原文のまま。「オールナイトニッポンその後の事件簿」より、TPGに関して、たけしが後日談として発言)
  5. ^ 翌1988年初頭のオールナイトニッポンで、たけしが『うちのプロレス(TPG)はシャレだったんだから』と発言。後日、週刊プロレスの投書欄には、『今更“シャレ”と言われても』といった内容の、この発言を受けての投書が掲載されていた。
  6. ^ 東京スポーツ「ビートたけしプロレス大挑戦」にて、前田顔面蹴撃事件を受けて、たけしが次の旨を発言。『前田はTPGに来ればいい。覆面して、リングネームを「じゃない前田」にすればいい』


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