広瀬維然(素牛)
(ひろせいぜん/そぎゅう)
(~正徳1年(1711)2月9日、60余歳)
武田信玄の家臣広瀬郷左衛門の子孫で、美濃国の関の酒造家岩本屋の三男坊の広瀬源之丞。素牛、鳥落人、梅花仏、湖南人とも。美濃蕉門の門人。貞亨5年夏、芭蕉が『笈の小文』で美濃を通過したときに入門。岐阜県の関市に弁慶庵を作って住む。芭蕉の「藤の実は俳諧にせん花の跡」は、元禄2年『奥の細道』で大垣に休んでいる芭蕉を訪問した折に託された句。 造り酒屋という地方の富裕な家に生まれながらも、生涯を清貧と旅に過ごした人生は、師の芭蕉にもっともよく似た門弟の一人であった。元禄5年、京に移住。芭蕉が伊賀から最後の大坂への旅には伊賀から随行し、以後芭蕉の死の日まで維然は師との濃密な時間を過ごしたのである。 「藤の実」は維然の処女撰集。
維然の代表作
酒部屋に琴の音せよ窓の花(『続猿蓑』)
衣更着のかさねや寒き蝶の羽(『続猿蓑』)
無菓花や廣葉にむかふ夕涼(『続猿蓑』)
更行や水田の上のあまの河(『続猿蓑』)
松茸や都にちかき山の形(『続猿蓑』)
肌寒き始にあかし蕎麥のくき(『続猿蓑』)
水仙の花のみだれや藪屋しき(『続猿蓑』)
冬川や木の葉は黒き岩の間(『続猿蓑』)
木枯や刈田の畔の鐵氣水(『続猿蓑』)
煤掃や折敷一枚踏くだく(『続猿蓑』)
濱荻に筆を結せてとしの暮(『続猿蓑』)
別るゝや柿喰ひながら坂の上(『続猿蓑』 )
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