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松本清
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2011/06/14 15:29 UTC 版)
(すぐやる課 から転送)
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まつもと きよし
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| 生年月日 | 1909年4月24日 |
| 出生地 | 千葉県我孫子市(旧・湖北村) |
| 没年月日 | 1973年5月21日(満64歳没) |
| 死没地 | 千葉県松戸市 |
| 出身校 | 星製薬商業学校(現・星薬科大学) |
| 前職 | 薬種商 千葉県小金町議会議員 マツモトキヨシ薬店代表社員 千葉日報社代表取締役社長 |
| 所属政党 | (無所属→) (自由民主党→) 無所属 |
| 親族 | 長男・松本和那 次男・松本南海雄 (マツモトキヨシ代表取締役社長) 三男・松本鉄男 孫・松本和巳 |
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| 当選回数 | 2回 |
| 任期 | 1969年1月27日 - 1973年5月21日 |
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| 選挙区 | 東葛飾郡選挙区 |
| 当選回数 | 6回 |
| 任期 | 1947年4月23日 - 1969年1月12日 |
松本 清(まつもと きよし、1909年(明治42年)4月24日 - 1973年(昭和48年)5月21日)は、千葉県東葛飾郡湖北村(現・我孫子市)出身の実業家、地方政治家。ドラッグストアチェーン日本最大手の「マツモトキヨシ」の創業者。東葛飾郡小金町議会議員(当時)、千葉県議会議員、松戸市市長を歴任。
目次 |
略歴
- 1909年(明治42年)4月24日: 千葉県東葛飾郡湖北村(現・我孫子市湖北)で生まれる
- 1923年(大正12年): 知合いの伝で丁稚奉公(でっちぼうこう)しながら薬の勉強を始める
- 1930年(昭和5年): 製薬王と呼ばれた星一(作家星新一の実父)が設立した星製薬商業学校(現・星薬科大学)を卒業
- 1932年(昭和7年): 薬種商免許取得の後、「松本薬舗」を開業
- 1942年(昭和17年): 千葉県東葛飾郡小金町議会議員(後・昭和の大合併後に東葛市を経て松戸市に編入)
- 1947年(昭和22年): 千葉県会議員、当選(東葛飾郡選挙区)
- 1951年(昭和26年): 千葉県会議員2期目、当選。
- 1954年(昭和29年): 「有限会社マツモトキヨシ薬店」を設立し、商号を変更
- 1956年(昭和31年): 千葉県議会議長。千葉日報社社長に就任(1958年まで)。
- 1969年(昭和44年)1月26日: 千葉県松戸市、第9代市長に当選。任期中、無給勤務で話題になる。
- 同年10月6日: 「すぐやる課」設立
- 1973年(昭和48年)5月21日: 2期目の市長在職中に心不全で逝去
エピソード
県議会議員になりたい
貧しい農家の息子であった松本が小学生の頃、いつも威張っていた小学校の校長が、視察に訪れた県の視学(学校監督の行政官)[要出典][1]に対してペコペコしているのを見て驚いた。ところが、視学を学校を出ようとしたとき偶々所用で来校した県議会議員と鉢合わせになった際に、逆に視学が慌てて道を譲った。松本は県議会議員がそれほどまでに凄いのかと驚いて家に帰ってから母親に「大きくなったら県議会議員になりたい」と言ったところ、母親から「バカを言っているんじゃない」とこっぴどく説教をされた。それだけに、第二次世界大戦後松本が県議会議員になったと知った母親はただただ驚いたという。
市長選出馬の経緯
松本は元々松戸市に吸収合併された旧東葛飾郡小金町が地元であり、県議会議員の選挙区も初出馬当時に同町が属していた東葛飾郡選挙区から選出していた。従って小金町が松戸市と合併したからと言って松戸市選出議員との関係から選挙区を変えるわけには行かなかった。ところが、当時の市長がスキャンダルで引責辞任すると市政与党の自民党は適切な候補者が見つからなかった。そこで松本に出馬要請をしたものの、当人は松戸で選挙をしたことが無い事、健康面での不安を理由に一旦は固辞した。だが、当時松戸市を含む千葉1区(後に分区して4区)選出の衆議院議員であった当時の自民党副総裁川島正次郎が松戸市の危機であるとして自ら松本を説得して立候補を受諾させた。
すぐやる課
千葉県松戸市長在任中の1969年に「市役所は『市民に役立つ所・市民にとって役に立つ人がいる所』をモットーに、日本初の即応部門「すぐやる課」を市役所に設置。全国的に報道された。課長の臼井銀次郎を含め課員は二名であった。従来の地方行政では、緊急に対応が求められる事態に対しても、何重もの決裁が必要とされてすぐには対応が出来なかった。そこで松本はこの課を市長直属とすることで、機動性を確保しようとしたのである。部署名は“すぐ出来る事はすぐやる”から。この思想は日本各地の市区町村長などに支持され、同名部署や同じ役割の部課が続々とでき、1975年に全国315の自治体で採用された。なお、“すぐやる課”で対応出来ない件は担当部署に回付、“可及的速やかに”処置する事になっている。
コロムビアからすぐやる課を題材にしたレコード『すぐやる課』(歌:仲清史)も発売された。
選挙と景品
市長在職当時、県会議員選挙の投票率が低迷していたため、松本は、投票整理券の整理番号を用いてくじを実施しようと考え、公職選挙法を管轄していた自治省にお伺いを立てたが却下。しかし、くじを実施しても投票の公正性が害されることがないと考えた松本は、その案を実施した(ただし、景品は1等賞が自転車と、それほど高額なものではなかった)。
マツモトキヨシ
現在の「株式会社マツモトキヨシ」は、松本の逝去後、長男の松本和那(後に衆議院議員)により「有限会社マツモトキヨシ薬店」から1975年に改組。孫で元衆議院議員の松本和巳は取締役を務めていた。→マツモトキヨシを参照。現在の社長は松本の次男の松本南海雄(日本チェーンドラッグストア協会会長)。三男松本鉄男も取締役である。
- 1 松本清の概要
- 2 「記念」など
- 「すぐやる課」潰された理由 松戸では40年「元気」J-CASTニュース
- 設置1カ月 相談194件 石垣市すぐやる課琉球新報
- 日高川町が「すぐやる課」設置へ日高新報
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