映画情報 |
しいのみ学園
| 原題: | |
| 製作国: | 日本 |
| 製作年: | 1955 |
| 配給: |
| スタッフ | |
| 監督: | 清水宏(1) シミズヒロシ |
| 製作: | 永島一朗 ナガシマイチロウ |
| 原作: | 山本三郎 ヤマモトサブロウ |
| 脚本: | 清水宏(1) シミズヒロシ |
| 撮影: | 鈴木博 スズキヒロシ |
| 音楽: | 斎藤一郎 サイトウイチロウ |
| 美術: | 鳥居塚誠一 トリイヅカセイイチ |
| 録音: | 片岡造 |
| 照明: | 小山正治 |
| キャスト(役名) |
| 宇野重吉 ウノジュウキチ (山本先生) |
| 花井蘭子 ハナイランコ (山本文子) |
| 河原崎建三 カワラザキケンゾウ (山本有道) |
| 岩下亮 イワシタリョウ (山本照彦) |
| 香川京子 カガワキョウコ (渥美かよ子) |
| 島崎雪子 シマザキユキコ (田中先生) |
| 龍崎一郎 リュウサキイチロウ (村田三吉) |
| 毛利充宏 モウリミツヒロ (村田鉄夫) |
| 葉山葉子 ハヤマヨウコ (照子) |
| 大野かよ子 オオノカヨコ (みつ子) |
| 松井晴志 (作郎) |
| 渡辺司 ワタナベツカサ (久男) |
| 林三重子 ハヤシミエコ (節子) |
| 新倉一夫 ニイクラカズオ (時雄) |
| 服部真佐子 ハットリマサコ (美子) |
| 解説 |
| 小児マヒの問題をテーマとして福岡学芸大学の山本三郎教授のベストセラーになった原作「しいのみ学園」から、「都会の横顔」の清水宏(1)が脚本を書き監督する。撮影は「大岡政談・妖棋伝 (前篇) 白蝋の仮面」の鈴木博、音楽は「男ありて」の斎藤一郎の相当である。出演者は「青春怪談(1955 市川崑)」の宇野重吉、「のんき裁判」の花井蘭子、香川京子、島崎雪子、「足摺岬」の河原崎建三、「喧嘩奉行」の竜崎一郎など。 |
| ストーリー※ストーリーの結末まで記載されていますので、ご注意ください |
| 大学の心理学教授である山本先生には二人の子供がいるが、不幸にも二人共小児マヒにおかされた。山本先生と妻の文子は全霊を傾けてその治療に尽したが効果は挙らなかった。長男の有道はビッコだと馬鹿にされ、或る日など友人のいたずらで盗人の嫌疑をかけられたため、遂に学校へ行くのもいやがる様になった。弟の照彦も小児マヒになったのはその頃である。山本は文子に激励され、全財産をなげ打って小児マヒの子供のための学校「しいのみ学園」を創ることにした。山本の教え子の渥美かよ子も志願して先生となった。この学園の教育法は、先ず不具者という劣等感を排除してノビノビさせることにあった。或る日、岡山から新聞記事を見た夫婦が小児マヒの子供を連れて来た。厄介者を置いて行く様な夫婦の態度だったが、子供の将来を想って預ることにした。鉄夫というこの子はいじけた子だったが、徐々に明るくなった。楽しいピクニックの翌日、鉄夫は岡山の父母に手紙を書いたが、返事がなく淋しそうだった。その頃、電車ごっこをしていた鉄夫は、誤って倒れたのが因で重病となった。「手紙手紙」というウワ言を聞いたかよ子は、自分で手紙を書いて郵便局から出した。それを父母から来たものと思い鉄夫は喜びながら死んで行った。その初七日にかよ子と子供たちは鉄夫にお別れの手紙を書き、しいのみ学園の歌を唄いながらポスト迄出しに行くのだった。 |
ウィキペディア |
しいのみ学園
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2010/08/21 04:41 UTC 版)
しいのみ学園(しいのみがくえん)は、福岡県福岡市にある知的障害児の施設。福岡学芸大学の教授であった山本三郎(現在は曻地三郎)が開園する。1954年当時、今のような養護学校の形態がなかったので、その意味では養護学校の前身とされる。現在は、知的障害児通園施設として運営されている。
- 1 しいのみ学園とは
- 2 しいのみ学園の概要
固有名詞の分類
しいのみ学園に関連した本
- しいのみ学園 昇地 三郎 梓書院
- 親心子心―しいのみ学園園長・昇地三郎聞書 高村 充一 西日本新聞社
- しいのみ学園 ショウチ 三郎 福村出版
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