三省堂 大辞林 |
ごせだ-ほうりゅう ―はうりう 【五姓田芳柳】
美術人名辞典 |
五姓田芳柳
読み方:ごせだ ほうりゅう
幕末・明治の洋画家。江戸生。本姓は浅田。のち本多、森田など五度改姓し五姓田と称した。名は岩吉。歌川国芳に浮世絵を、樋口探月に狩野派を学び、のち横浜でワーグマンに就く。和洋折衷の肖像画は、横浜絵といわれて内外に珍重された。明治天皇の御影を写して拝謁を賜る。明治25年(1892)歿、66才。
幕末・明治の洋画家。江戸生。本姓は浅田。のち本多、森田など五度改姓し五姓田と称した。名は岩吉。歌川国芳に浮世絵を、樋口探月に狩野派を学び、のち横浜でワーグマンに就く。和洋折衷の肖像画は、横浜絵といわれて内外に珍重された。明治天皇の御影を写して拝謁を賜る。明治25年(1892)歿、66才。
五姓田芳柳(二世)
読み方:ごせだ ほうりゅう
洋画家。茨城県生。旧姓は倉持、本名は子之吉、通称芳雄。はじめ五姓田義松に学び、その父である初代芳柳の養嗣子となる。義松渡仏後は英国人チャールズ・ワーグマンに西洋画を学び、工部美術学校教師のサン・ジョヴァンニやカペレッティにも師事した。明治美術会の創立に参加し、同会展や各国博覧会等に出品、パリ万博出品の「猿曳図」で褒状を受ける。また、パノラマやジオラマの制作にも従事した。巴会創立に際し会員となるが、文展開設以後は作品を公表せず、依頼に応じて歴史画や風俗画を描いた。昭和18年(1943)歿、80才。
洋画家。茨城県生。旧姓は倉持、本名は子之吉、通称芳雄。はじめ五姓田義松に学び、その父である初代芳柳の養嗣子となる。義松渡仏後は英国人チャールズ・ワーグマンに西洋画を学び、工部美術学校教師のサン・ジョヴァンニやカペレッティにも師事した。明治美術会の創立に参加し、同会展や各国博覧会等に出品、パリ万博出品の「猿曳図」で褒状を受ける。また、パノラマやジオラマの制作にも従事した。巴会創立に際し会員となるが、文展開設以後は作品を公表せず、依頼に応じて歴史画や風俗画を描いた。昭和18年(1943)歿、80才。
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