三省堂 大辞林 |
このえ-さきひさ このゑ― 【近衛前久】
美術人名辞典 |
近衛前久
読み方:このえ さきひさ
安土桃山・江戸前期の公卿。初名は晴嗣・前嗣、法号を東求院龍山。近衛稙家の子。関白・左大臣。織田信長が奉じた将軍足利義昭との間に隙を生じ出奔、大坂・丹波を流浪する。のち信長の奏請により帰洛、九州に下って島津・大友・相良ら諸氏間の和議を謀り、また信長と本願寺との調停をはかった。本能寺の変後出家、晩年は徳川家康を頼って慈照寺に隠棲した。歌道・神道・暦学・書道・連歌等に精通し、その地方遍歴を通じて都文化の地方への普及に大きく寄与した。慶長17年(1612)歿、77才。
安土桃山・江戸前期の公卿。初名は晴嗣・前嗣、法号を東求院龍山。近衛稙家の子。関白・左大臣。織田信長が奉じた将軍足利義昭との間に隙を生じ出奔、大坂・丹波を流浪する。のち信長の奏請により帰洛、九州に下って島津・大友・相良ら諸氏間の和議を謀り、また信長と本願寺との調停をはかった。本能寺の変後出家、晩年は徳川家康を頼って慈照寺に隠棲した。歌道・神道・暦学・書道・連歌等に精通し、その地方遍歴を通じて都文化の地方への普及に大きく寄与した。慶長17年(1612)歿、77才。
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