三省堂 大辞林 |
けいこうてんのう けいかうてんわう 【景行天皇】
記紀の所伝で、第一二代天皇、大足彦尊(おおたらしひこのみこと)・大足彦忍代別尊(おおたらしひこおしろわけのみこと)の漢風諡号(しごう)。垂仁天皇の第三皇子。都は大和(やまと)の纏向日代宮(まきむくのひしろのみや)。熊襲(くまそ)を征討し、皇子の日本武尊(やまとたけるのみこと)を派遣して蝦夷(えぞ)を平定したという。記紀の歴史構想で、四道将軍派遣にみられる崇神期の王化の拡大をうけて、それを辺境にまで及ぼす意義を負う。
防府歴史用語辞典 |
景行天皇 (けいこうてんのう)
『日本書紀[にほんしょき]』に書かれている12代天皇で、紀元後51年に天皇になり、以後60年間即位していたと言われています。有名な日本武尊[やまとたけるのみこと]のお父さんです。熊襲[くまそ]を攻める際に玉祖神社の近くを訪れたと言われています。
歴代天皇事典 |
景行天皇
父垂仁天皇の崩御にともない即位し、都を纒向日代宮に移した。
景行天皇には皇后、皇妃が多くまた子供が80人もいたという。
播磨稲日大郎姫との間には、日本武尊(やまとたけるのみこと)がいる。
この日本武尊については語ることが多くここでは記載できないので、別な機会があれば書いてみたいと考えている。
さて、この天皇(三輪王朝三代目)自身の業績は、熊襲征伐のために九州遠征に行ったり、屯倉・田部を設置したということが知られているだけだが、個人的な見解だが、日本武尊を登場させ諸国へ遠征させているが、これは日本武尊の名を借りて三輪王朝というより三輪大王家が威信をかけて全国を平定していく過程を比喩的にあらわしたものではないかと考えている。
大王家が諸国を統一していく過程にあると考えたほうがよい。
景行天皇には皇后、皇妃が多くまた子供が80人もいたという。
播磨稲日大郎姫との間には、日本武尊(やまとたけるのみこと)がいる。
この日本武尊については語ることが多くここでは記載できないので、別な機会があれば書いてみたいと考えている。
さて、この天皇(三輪王朝三代目)自身の業績は、熊襲征伐のために九州遠征に行ったり、屯倉・田部を設置したということが知られているだけだが、個人的な見解だが、日本武尊を登場させ諸国へ遠征させているが、これは日本武尊の名を借りて三輪王朝というより三輪大王家が威信をかけて全国を平定していく過程を比喩的にあらわしたものではないかと考えている。
大王家が諸国を統一していく過程にあると考えたほうがよい。
| 第12代天皇 | |
| 天皇名 | 景行天皇 |
| 読み方 | けいこうてんのう |
| 名・諱等 | 大足彦忍代別尊 |
| 読み方 | おおたらしひこおしろわけのみこと |
| 時代区分 | 神代 |
| 天皇在位 | 71?年から130?年 |
| 生年 | 生年不詳 |
| 没年 | 没年不詳 |
| 父 | 垂仁天皇 |
| 母 | 日葉酢媛命 |
| 兄弟 | 五十瓊敷入彦命・倭姫命・誉津別皇子 |
| 配偶者 | 八坂入媛命 |
| 皇子女 | 稚足彦尊・日本武尊 |
| 即位宮 | 纒向日代宮 |
| 天皇陵 | 山邊道上陵 |
| 所在地 | 奈良県天理市渋谷町 |
歴代天皇陵一覧 |
景行天皇 山邊道上陵
(けいこうてんのう やまのべのみちのえのみささぎ)
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けいこうてんのうに関連した本
- 景行天皇と巡る西海道歴史紀行―わが国の起源を求めて九州を歩こう 榊原 英夫 海鳥社
- 九州を制覇した大王―景行天皇巡幸記 河村 哲夫 海鳥社
- 天皇皇族実録 2 ゆまに書房
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