かまやつひろし
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かまやつ ひろし / ムッシュかまやつ(本名:釜萢 弘(かまやつ ひろし)、1939年〈昭和14年〉1月12日[1] - 2017年〈平成29年〉3月1日[2])は、日本のミュージシャン、俳優。通称「ムッシュ」。「ザ・スパイダース」の元メンバーでもある。1989年以降は、ミュージシャンとしては「ムッシュかまやつ」が正式な活動名である。東京府(現・東京都)出身。血液型はB型。
注釈
- ^ 山口隆対談集『叱り叱られ』(幻冬舎 2008.2)にある、かまやつとの対談によると、「キース・ジャレットが世界で1番目、ボクが2番目、ポール・マッカートニーが3番目」と発言している。
- ^ 「我が良き友よ」のB面、1990年代に入ってから再評価を受けた。
- ^ 作詞は漫画の原作者園山俊二。実際のオリジナル歌手はちのはじめ(若子内悦郎の変名)だが、かまやつもセルフカバーしている。
- ^ 当時AOKIのCMソングとして使用されていたため。
- ^ 月1回放送。番組末期はかまやつ本人は病気療養のため出演できず、もともとアシスタントを務めていた椎名由紀が1人で番組進行する形となり、最終回は死後の放送となった
出典
- ^ a b c 『DJ名鑑 1987』三才ブックス、1987年2月15日、57頁。NDLJP:12276264/29。
- ^ ミュージシャンのムッシュかまやつさんが死去 78歳 テレ朝ニュース 2017年3月2日
- ^ “ムッシュかまやつの記録──ルーツ”. GQ JAPAN. 2020年12月7日閲覧。
- ^ a b c d “ムッシュかまやつさん死去 Jポップ開拓 78歳 膵がんで”. 中日スポーツ (中日新聞社). (2017年3月3日). オリジナルの2017年3月3日時点におけるアーカイブ。 2017年3月3日閲覧。
- ^ “【追悼】ムッシュかまやつさん死去 - TOWER RECORDS ONLINE”. tower.jp. 2020年12月7日閲覧。
- ^ a b 檻の中の野郎たち Movie Walker
- ^ http://music-calendar.jp/2018040501
- ^ a b c d e 村田久夫・小島智編「かまやつひろしインタビュー」『日本のポピュラー史を語る―時代を映した51人の証言』シンコーミュージック、1999年10月14日、35-39頁。ISBN 4-401-613-40-6。
- ^ a b c d e 「生誕70周年・特別企画 ムッシュかまやつインタビュー」『ROCKS OFF Vol.07』シンコーミュージック・エンタテイメント、2009 SPRING、99-103頁。
- ^ 永井良和『南沙織がいたころ』朝日新聞出版、2011年、135-136頁。ISBN 978-4-02-273416-7。
- ^ 『吉田拓郎読本』音楽出版社、2008年、50、80頁頁。ISBN 978-4-86171-041-4。
- ^ a b c “(もういちど流行歌)「我が良き友よ」かまやつひろし、ミスマッチがよかった?”. 朝日新聞デジタル (朝日新聞社). (2016年8月27日). オリジナルの2016年8月27日時点におけるアーカイブ。 2017年3月3日閲覧。“ムッシュかまやつさん死去、78歳 「我が良き友よ」が大ヒット、ザ・スパイダース元メンバー”. ハフィントン・ポスト (2017年3月3日). 2017年3月3日閲覧。
- ^ a b “先輩格のかまやつひろしのために吉田拓郎が書いてくれた「我が良き友よ」”. TAP the POP (2016年4月1日). 2017年3月3日閲覧。
- ^ “「我が良き友よ」のムッシュかまやつさん死去”. 東洋経済オンライン (2017年2月3日). 2017年3月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年3月3日閲覧。“「上はハイカラでも下は蛮殻(ばんから)なんだから」…”. 西日本新聞 (西日本新聞社). (2017年3月3日). オリジナルの2017年3月3日時点におけるアーカイブ。 2017年3月3日閲覧。“曲が売れるほどに音楽仲間から「…”. 山陽新聞デジタル (山陽新聞社). (2017年3月3日). オリジナルの2017年3月3日時点におけるアーカイブ。 2017年3月3日閲覧。
- ^ レイジーのDVD『LAZY LIVE 2002 "EARTH ARK II" 〜regenerate of a lasting worth〜』(2003年、ランティス)の映像特典「Legend of LAZY」での本人のコメントより
- ^ “ムッシュかまやつ「我が名はムッシュ-Je m’appelle MONSIEUR-」 | RMCA-1006 | 4560123270118 | Shopping”. Billboard JAPAN. 2020年12月7日閲覧。
- ^ “KenKen×ムッシュかまやつ×山岸竜之介がプロジェクト開始”. ナタリー (2013年7月18日). 2015年12月28日閲覧。
- ^ “ムッシュかまやつ 肝臓がん公表「絶対復活するから心配しないでください」”. スポニチアネックス. (2016年9月6日) 2016年9月6日閲覧。
- ^ “ムッシュかまやつ、がん公表後初公の場…堺正章と「サマー・ガール」熱唱”. スポーツ報知. (2016年12月9日) 2017年3月7日閲覧。
- ^ “ムッシュかまやつさん後追い死 妻他界から数日後に - おくやみ : 日刊スポーツ”. nikkansports.com. 2022年10月24日閲覧。
- ^ “ムッシュかまやつさん死去 昨年肝臓がん公表、78歳” (2017年3月2日). 2017年3月2日閲覧。
- ^ a b INC, SANKEI DIGITAL (2017年3月7日). “ムッシュかまやつさん密葬、教会でしめやかに…堺正章ら60人参列(1/2ページ)”. 産経ニュース. 2022年7月4日閲覧。
- ^ a b “かまやつ太郎Twitter 2018年4月29日”. Twitter. 2022年10月24日閲覧。
- ^ カーグラフィック 2009年10月号
- ^ 『ムッシュ!』(日経BP社 2002.9)p56
- ^ はなまるマーケット 2009年2月27日
- ^ 「今月のLOCO-CM」『広告批評』第232号、マドラ出版、1999年11月1日、37頁、NDLJP:1852951/20。
- ^ かまやつひろし - オリコンCM出演情報
- ^ “【評伝】日本ポップス進化の立役者…ムッシュかまやつさん死去”. スポーツ報知 (報知新聞社). (2017年3月3日). オリジナルの2017年3月3日時点におけるアーカイブ。 2017年3月3日閲覧。
- ^ “THE ALFEE 40周年で語る出会い、デビュー、下積み時代【THE ALFEE】”. 女性自身. (2014年7月7日) 2021年2月8日閲覧。
- 1 かまやつひろしとは
- 2 かまやつひろしの概要
- 3 家系、縁戚
- 4 書籍
- 5 脚注
かまやつひろし
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かまやつひろしとのコラボレーション、1974年、デュエット「シンシア」、1975年のオリコン1位「我が良き友よ」は、拓郎ファンだったかまやつが「一緒にやろう」と長年、拓郎を口説いて実現させたもの。
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かまやつひろし
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拓郎は、「東京へ来てから女、アルコールなど軟派系の遊びは全部かまやつさん。今日の僕があるのは、かまやつさんのおかげ。身体はガタガタですけど」と言う。かまやつは、当時流行の最先端を行っていた業界人らと付き合い、拓郎を安井のマンション「川口アパート(プール付き)」等、そういう人達が集う場所に連れて行った。
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