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かあちゃんと11人の子ども

原題:
製作国:日本
製作年:1966
配給:松竹
スタッフ
監督:五所平之助 ゴショヘイノスケ
製作:島田昭彦 シマダアキヒコ
原作:吉田とら ヨシダトラ
脚色:堀江英雄 ホリエヒデオ
撮影:長岡博之 ナガオカヒロユキ
音楽:斎藤一郎 サイトウイチロウ
美術:浜田辰雄 ハマダタツオ
編集:大沢しづ オオサワシヅ
録音:服部満洲雄 ハットリマスオ
スチール:小尾健彦 オビタケヒコ
照明:津吹正 
キャスト(役名
左幸子 ヒダリサチコ (吉田とら
渥美清 アツミキヨシ (吉田貞治
久我美子 クガヨシコ (吉田成子
稲野和子 イナノカズコ (吉田旭子)
十朱幸代 トアケユキヨ (吉田京子
倍賞千恵子 バイショウチエコ (吉田文子)
左時枝 ヒダリトキエ (吉田都
内藤武敏 ナイトウタケトシ (吉田聖)
近藤洋介 コンドウヨウスケ (吉田将
佐藤英夫 サトウヒデオ (吉田厚
工藤堅太郎 クドウケンタロウ工藤堅大良 (吉田治
田村正和 タムラマサカズ (吉田俊)
藤岡弘、 フジオカヒロシ (吉田耕)
佐乃美子 サノヨシコ (吉田仙)
三津田健 ミツダケン (熊作)
岡村文子 オカムラフミコ (まち)
八木昌子 ヤギマサコ (せい)
笠置シヅ子 カサギシヅコ (さく)
中村是好 ナカムラゼコウ (弥助
大塚君代 オオツカキミヨ (おしげ)
渡辺紀行 ワタナベトシユキ (男)
竹脇無我 タケワキムガ (善作
三井弘次 ミツイコウジ (長さん)
殿山泰司 トノヤマタイジ (吉)
浦辺粂子 ウラベクメコ (産婆
香山美子 カヤマヨシコ (先生
解説
吉田とら原作を「恐山の女」の堀江英雄脚色し、同じく恐山の女」の五所平之助監督した実話映画化撮影は「俺たちの恋」の長岡博之
ストーリー※ストーリーの結末まで記載されていますので、ご注意ください
とらは十四歳の若さ吉田貞治の許へ嫁いだ。彼女がまだ高等小学校通っていた時である。伊豆地方には足入れ仮祝言)の習慣が残っていて、正式に結婚式を挙げたのは翌年大正十五年で、彼女はその時既に長女の成子を宿していた。貞治記念にと彼女にハコセコを買って与えた。貞治進取気性に富み、農耕の他に、養蚕肥料店、牛乳屋兼業していたから、生活に困るということはなかった。そして吉田家は、十二年を経た時には、成子を筆頭に六人の子供に恵まれていた。昭和十二年、支那事変勃発、静かな西伊豆にも、戦争の波がおしよせ、貞治の弟善作続いて貞治にも召集令状が来た。とらは、貞治帰還する昭和十四年秋まで、仕事と六人の子供を抱え奮闘した。台風にも負けはしなかった。そして貞治との間に交換された手紙三百通を越えた。貞治帰還吉田家に再び幸福が戻ってきたが、戦局激しくなるばかりであった。戦地輜重二等兵として苦労した貞治は、子供だけには教育を受けさせたいという強い願いを持っていた。長女成子が静岡師範学校入学牛乳屋第一進学次いで次女旭子も師範学校へ、長男聖は東京中学へと入学した。その間にも子供三人もふえていた。そして二十三年生れ末っ子の都をいれて、十一人を数えていた。子供成長してそれぞれの道を歩み始めた。そんなある日、末っ子都の書いた詩「かあらゃん」が総理大臣賞受賞した。とらは嬉しかった。だがそれ以上に彼女にとって嬉しいのは、夫にもらったハコセコが、いまだに村人たち結婚式借りられることだった。幸福を呼ぶハコセコだと評判のである。とらは今日忙し一日飛び出して行くのだった





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