お岩稲荷
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/09 10:20 UTC 版)
現在、四谷左門町には於岩稲荷田宮神社と於岩稲荷陽運寺が、道を挟んで両側にある。また、中央区新川にも於岩稲荷田宮神社がある。 四谷の於岩稲荷田宮神社(田宮家跡地)は明治12年(1879年)の火災によって焼失して新川に移った。新川の於岩稲荷田宮神社は戦災で焼失したが太平洋戦争後に再建され、また四谷の旧地にも再興された。 陽運寺は昭和初期に創建された日蓮宗の寺院である。境内には「昭和32年に新宿区より文化財に指定されていたお岩様ゆかりの井戸」があり、また境内にある秦山木の下には「お岩様縁の祠」があったと伝えられている。元々は於岩稲荷田宮神社が中央区新川に移転した際、地元の名物が無くなって困った地元の有志が「四谷お岩稲荷保存会」を立ち上げ、この時、本部に祀ったお岩尊という小祠が大きくなったのが陽運寺の成り立ちである。 お岩稲荷が複数もできた要因としては単純に儲かるためである。歌舞伎俳優は元より、お岩の浮気に対して見せた怨念から、男の浮気封じに効くとして花柳界からの信仰を集めたため、賽銭の他に土産物などで地元経済が潤ったからである。このため、『東京日々新聞』『東京曙新聞』といった明治期の新聞には小川某なる人物が何度ももう一つのお岩稲荷を作ろうと画策したことが、記事として残されている。 なお、お岩の「お墓」が、巣鴨の妙行寺(明治時代に四谷から移転)にある。恐らくは2代目田宮伊右衛門の妻の墓だろうと推測される。
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