三省堂 大辞林 |
おりょう ―れう 【▽御寮】
「此の―が所へは方々から酒(ささ)をたくさんにたもるに/狂言・比丘貞」
(2)勧進比丘尼(かんじんびくに)・歌比丘尼の元締め。
「いつごろより―猥(みだり)になして遊女同前に/浮世草子・一代男 3」
ごりょう ―れう 1 【御寮/御料】
「少輔(じよう)の―とぞ申す/義経記 8」「―は青竹おろしの館に入り給ひぬ/曾我 5」
(2)人名や人を表す語に付けて、敬愛の意を表す。
「嫁―」「万寿―をも五大院右衛門宗繁が具足しまゐらせ候ひつるを/太平記 10」
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楢崎龍
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2012/03/15 17:31 UTC 版)
(おりょう から転送)
楢崎 龍(ならさき りょう、天保12年6月6日(1841年7月23日) - 明治39年(1906年)1月15日)は江戸時代末期から明治時代の女性。名は一般にお龍(おりょう)と呼ばれることが多い。
中川宮の侍医であった父が死んで困窮していた頃に坂本龍馬と出会い妻となる。薩長同盟成立直後の寺田屋遭難では彼女の機転により龍馬は危機を脱した。龍馬の負傷療養のため鹿児島周辺の温泉を二人で巡り、これは日本初の新婚旅行とされる[1]。龍馬の暗殺後は各地を流転の後に大道商人・西村松兵衛と再婚して西村ツルを名乗る。晩年は落魄し、貧窮の内に没した。
- ^ a b 小松清廉が先であるという異論もある。「日本初の新婚旅行は小松帯刀?通説“龍馬”に異論登場」読売新聞 2008年10月16日
- ^ 阿井景子『龍馬と八人の女性』p209-212 ただし、同書ではこの説について否定的なスタンスを取っている。
- ^ 将作は安政の大獄で獄死したとされていたが、近年では赦免後に病死したことが明らかになっている。『坂本龍馬歴史大事典』p98
- ^ (慶応元年9月9日付書簡)原文「女曰ク、殺し殺サレニはる/″\大坂ニくだりてをる、夫ハおもしろい、殺セ/\といゝけるニ、(後略)」『龍馬の手紙』p142
- ^ a b c (慶応元年9月9日付書簡)『龍馬の手紙』p133-146
- ^ 『続反魂香』。坂本優二『龍馬を愛した女たち』p79-83
- ^ 鈴木かほる『史料が語る 坂本龍馬の妻お龍』p36
- ^ 『坂本龍馬と海援隊』p84
- ^ a b 坂本優二『龍馬を愛した女たち』p86
- ^ 『反魂香』。一坂太郎『わが夫 坂本龍馬』p48-49
- ^ 『千里駒後日譚』、坂本優二『龍馬を愛した女たち』p101-102
- ^ 『反魂香』、坂本優二『龍馬を愛した女たち』p103-105
- ^ 坂本優二『龍馬を愛した女たち』p188
- ^ 『千里駒後日譚』、坂本優二『龍馬を愛した女たち』p111-113
- ^ 『龍馬の手紙』p237-243
- ^ (慶応2年12月4日付書簡)原文「此龍女がおれバこそ、龍馬の命ハたすかりたり。」『龍馬の手紙』p257-258
- ^ 『反魂香』、一坂太郎『わが夫 坂本龍馬』p94
- ^ (慶応2年12月4日付書簡)『龍馬の手紙』p257-265
- ^ 『反魂香』、一坂太郎『わが夫 坂本龍馬』p89-103
- ^ 『坂本龍馬歴史大事典』p146
- ^ 鈴木かほる『史料が語る 坂本龍馬の妻お龍』p74-77
- ^ (慶応3年5月28日付書簡)『龍馬の手紙』p364-370
- ^ 坂本優二『龍馬を愛した女たち』p137-139
- ^ 『阪本龍馬の未亡人』。鈴木かほる『史料が語る 坂本龍馬の妻お龍』p109-110
- ^ 『千里駒後日譚』。坂本優二『龍馬を愛した女たち』p139-140
- ^ 『反魂香』。鈴木かほる『史料が語る 坂本龍馬の妻お龍』p89-91
- ^ 阿井景子『龍馬と八人の女性』p184-187
- ^ 『千里駒後日譚』。鈴木かほる『史料が語る 坂本龍馬の妻お龍』p245
- ^ 『反魂香』。鈴木かほる『史料が語る 坂本龍馬の妻お龍』p193-194
- ^ 鈴木かほる『史料が語る 坂本龍馬の妻お龍』p121-122
- ^ a b 『反魂香』。鈴木かほる『史料が語る 坂本龍馬の妻お龍』p123-124
- ^ 『続反魂香』。鈴木かほる『史料が語る 坂本龍馬の妻お龍』p127
- ^ 『実話雑誌』。鈴木かほる『史料が語る 坂本龍馬の妻お龍』p130-131
- ^ 鈴木かほる『史料が語る 坂本龍馬の妻お龍』p131
- ^ 『反魂香』。一坂太郎『わが夫 坂本龍馬』p176
- ^ 鈴木かほる『史料が語る 坂本龍馬の妻お龍』p132-136
- ^ 安岡秀峰『阪本龍馬の未亡人』。鈴木かほる『史料が語る 坂本龍馬の妻お龍』p258
- ^ 鈴木かほる『史料が語る 坂本龍馬の妻お龍』p128-131
- ^ 阿井景子『龍馬と八人の女性』p190-191
- ^ 鈴木かほる『史料が語る 坂本龍馬の妻お龍』p132-136 但し、同書ではこの話の出所となった戦前の新聞記事には事実関係の誤謬(お龍より5歳下の松兵衛を「松兵衛老人」としていたり、造船業の実業家であったと記されているなど)が多いとして否定的である。
- ^ 松兵衛の除籍簿写に「楢崎て以(貞)ノ孫入籍 養嗣子松之助 明治七年八月十五日生」とある。鈴木かほる『史料が語る 坂本龍馬の妻お龍』p128-131
- ^ 『坂本龍馬伝』p116-117
- ^ 『千里駒後日譚』。一坂太郎『わが夫 坂本龍馬』p203
- ^ 原文「龍馬が生きて居つたなら、又、何とか面白い事もあってせうが」。『千里駒後日譚』。鈴木かほる『史料が語る 坂本龍馬の妻お龍』p250
- ^ 『雑誌実話』。鈴木かほる『史料が語る 坂本龍馬の妻お龍』p143-144
- ^ 阿井景子『龍馬と八人の女性』p196-197、p200
- ^ 鈴木かほる『史料が語る 坂本龍馬の妻お龍』p154-157
- ^ 坂本優二『龍馬を愛した女たち』p151
- ^ 明治37年12月15日「東京二六新聞」。鈴木かほる『史料が語る 坂本龍馬の妻お龍』p21、p155
- ^ 鈴木かほる『史料が語る 坂本龍馬の妻お龍』p147
- ^ a b 『続反魂香』。鈴木かほる『史料が語る 阪本龍馬の妻お龍』p220
- ^ 昭和57年12月22日「高知新聞」
- ^ 鈴木かほる『史料が語る 阪本龍馬の妻お龍』p22-26
- ^ 阿井景子『龍馬と八人の女性』p205-212
- ^ 『若い日の「お龍さん」写真は本物?警察庁科警研が鑑定』(読売新聞、2008年5月15日)
- ^ 『やっぱりお龍さん? 写真の女性、龍馬の妻の「可能性」』(朝日新聞、2008年5月16日)
- ^ 『お龍:異論あった若い写真「別人の根拠なし」』(毎日新聞、2008年5月15日)
- ^ 『若き日の龍馬の妻と「同一人の可能性」 科警研』(産経新聞、2008年5月15日)
- ^ 鈴木かほる「龍馬が愛した女たち-お龍を中心に-」(『坂本龍馬伝』、新人物往来社、2009年掲載)では「警察庁科学警察研究所による確たる検証結果が得られなかった」とコメントしている
- ^ 坂本優二『龍馬を愛した女たち』p173-178
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