三省堂 大辞林 |
うさじんぐう 【宇佐神宮】
大分県宇佐市にある神社。豊前国一の宮。祭神は誉田別命(ほんだわけのみこと)(応神天皇)・大帯姫命(おおたらしひめのみこと)(神功皇后)および比売神(ひめかみ)。奈良時代から朝廷の崇敬があつく中世以降は武家の信仰をも受けた。全国八幡宮の総本社。宇佐八幡宮。
神社データベース |
宇佐神宮
| 宇佐神宮 うさじんぐう 大分県宇佐市大字南宇佐に鎮座まします、八幡宮総本社宇佐神宮。 一之御殿 八幡大神 御名 誉田別尊ほんだわけのみこと(応神天皇) 二之御殿 比売大神ひめおおかみ 御名 三女神さんにょしん 多岐津姫命たぎつひめのみこと 多岐理姫命たぎりひめのみこと 市杵嶋姫命いちきしまひめのみこと 三之御殿 神功皇后じんぐうこうごう 御名 息長帯姫命おきながたらしひめのみこと |
||||||||
| 全国の神社・約十一万社の中で、四万六百余社というのが八幡さまです。 この宇佐の地に、欽明天皇の二十九年(569)いろいろな神異(ふしぎ)が ありました。 菱形池のほとりの泉の涌くところに鍛冶をする老人や、八つの頭のある龍があらわれて、この姿を見た者は病気になったり、死んだりしました。この神の祟りをおさめようとして、大神比義(おおがのひぎ)という老人が来て、三年あまり断食をして神行すると、欽明天皇三十二年(571)の二月初卯の日この泉の辺の笹の上に、光り輝く三才の童子があらわれて「われは誉田の天皇広幡八幡麿(ほんだのすめらみことひろはたやはたまろ)なり」と告げられ、黄金の鷹になって駅館(やっかん)川の東岸の松の上に、とどまったといわれます。この鷹のとどまったところに、和銅元年(708)鷹居社が造立され、のち霊亀二年(716)小山田社に移られ、神亀二年(725)に現在の亀山に移されて、一之御殿八幡大神が鎮座されたのが、宇佐神宮の創立です。 |
||||||||
![]() |
||||||||
| 天平勝宝三年(749)、奈良の東大寺の大仏建立に全面的に協力して、大仏の鋳造を助けたという仏教擁護の社でもあります。 早くから仏教と習合して「八幡大菩薩」との称号を賜っています。 |
||||||||
| 八幡の神さまの八幡とは、天降った八つの幡(はた)を祭ったといいます。のぼり、旗、また※幣帛、織物のことをいうので、武神とか工芸神の神徳もあらわれたのです。八幡さまは、奥宮(三女神の降臨したといわれる大元山)にも、摂社薦社(こもしゃ)の三隅の池、菱形池のほとりの霊水の涌く処にも、各地の馬蹄石(影向石)上にもあらわれたと伝えられます。したがって田や畑の神とも、龍神などとも申されているので、単に応神天皇の聖徳だけをたたえ祭った神社でないことは、はっきりといえるわけです。 ※【幣帛】(へいはく)①神に奉献する物の総称。みてぐら。にきて。ぬさ。 (中国で、進物・礼物にきぬを贈ることから)進物または礼物の称。 ~広辞苑より~ |
||||||||
![]() |
||||||||
| 写真は、西中門(さいちゅうもん)で、右側の松が勅使松。八幡造の本殿の側面にあたります。 | ||||||||
![]() |
右の写真は、宇佐神宮下宮。本宮とは全く違う雰囲気でした。上宮(本宮)の気は「活き活きと している感じ」に対して、外宮のそれは、自然と融合しているような周りの空気にも溶けちゃってるような、そんな 感じ。「まったり」です。 どちらかというと、下宮が好きですかね。 ご祭神は上宮と同じにまします。昔から「下宮(伊勢神宮は外宮)詣らにゃ片詣り」といわれるそうです。お伊勢さまもそういいますね。 |
|||||||
うさじんぐうのページへのリンク


