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伊江島の村踊

名称: 伊江島の村踊
ふりがな いえじまのむらおどり
種別1: 民俗芸能
保護団体名: 伊江村民俗芸能保存会
指定年月日 1998.12.16(平成10.12.16)
都道府県(列記): 沖縄県
市区町村(列記): 国頭郡伊江村
代表都道府県 沖縄県
備考
解説文:  伊江島の村踊は、伊江島各地区の人びとが伝承する伝統的な歌や踊り、さらに組踊であり、そのなかにはヤマト言葉」による歌や、それに合わせて踊り、また『仮名手本忠臣蔵』を組踊仕組んだものなどがある。
 伊江島は、沖縄県北西部本部【もとぶ】半島から海上北西に約一一キロメートル先にある。琉球王朝時代に、伊江島を治めた領主首里居住し、その屋敷に島の住民が選ばれて奉公行き、さらに領主琉球王朝の命を受けて薩摩江戸に行くときに、伊江島の人びとが随行した。その人びとが薩摩江戸で、また江戸への往復途中見聞きしたヤマト芸能取り入れたものが、後に伊江島の村踊になったとされる
 また島には一九世紀初め学問所として「会所」が置かれ、そこに学ぶ青年たちが、地元伝承される民謡踊り振り付け島の人びとに正月などに披露することがあり、後に、それらも踊に組み込まれていったとされる
 伊江島には、特色ある歌い方として「キプゾ」が伝承されている。キプゾとは木製の箱形のタバコ入れのことで、それを叩いて拍子をとり、さらに口【くち】三味線唱え、それに合わせてさまざまな歌詞で歌うことである。また歌詞八音の句を基調とする沖縄の歌の特色をもつが、他地域にはない「真北」(マチタ)や「城の前」「えんさ節」などの歌があり、さらにもとはヤマト言葉七五調であったとされる吉田」や「シティナ節」「次郎が」「殿の御門」などの歌が踊りとともに伝承されている。
 踊りは、青年踊りである二才踊りに、足首曲げるなど独特の所作があり、また衣裳も黒の羽織紋付を着るなど、沖縄県他地域にみられない特色をもっている。
 伊江島の村踊として伝承される組踊は、「忠臣蔵」「矢蔵【やぐら】の比屋【ひやー】」「伏山敵討【ふしやまてきうち】」「立山【たつやま】(忠臣反間はんかん】の巻)」「大川敵討」「久志の若按司【あじ】」などである。このなかで「忠臣蔵」は、寛延元年(一七四八)に大坂竹本座初演された「仮名手本忠臣蔵」をもとにしている。役名は「大星由良之助おおぼしゆらのすけ】」を「大石大主【うふぬし】」に、「塩冶判官えんやはんがん】」を「塩冶按司」に、「お軽」を「加那ぐすい」になど沖縄風に置き換えている。また全体の筋は「仮名手本忠臣蔵」の三段目刃傷【にんじよう】」や七段目一力いちりき茶屋」、一一段目「討ち入り」などを中心にまとめ、音楽沖縄伝統音楽の「伊野波節」や「子持節」などを使っている。
 組踊は、本来、琉球王朝貴族伝承してきたので、踊として地域の人びとが伝承するようになったのは明治以降考えられるが、組踊忠臣蔵」については、同の上地【うえち】太郎が、一八四〇年に独自に作ったものであったので、早くから踊として演じられていたと地元では伝えている。
 伊江島の村踊は、各地区ごとに、それぞれ個別に、あるいは地区越え共通のものとして伝承するものがあるが、いずれもかつては地区ごとの「遊び」などで披露されてきた。昭和四十八年に地区越え伝承組織として、伊江村民俗芸能保存会結成され、昭和五十五年からは、毎年十一月中旬伊江村産業まつりに合わせて定期的に公開するようになり、村内の八地区輪番当番になっている。なお、当番になった地区は、事前練習重ね十月中に「前仕組み」と呼ばれる稽古の総披露として、地区公民館前庭仮設舞台設けるなどして、地区の人びとが互いに披露し合う形で行っており、かつての地区の「遊び」として演じられた様子を今もうかがうことができる。
 伊江島の村踊は、地域の人びとが、他地域の芸能受け入れ地域特色反映させつつ独自のものに工夫してきたものであり、芸能変遷過程地域的特色を示す貴重なのである

伊江島の村踊

名称: 伊江島の村踊
ふりがな いえじまのむらおどり
種別1: 民俗芸能
保護団体名: 伊江村民俗芸能保存会
選択年月日 1978.01.31(昭和53.01.31)
都道府県(列記): 沖縄県
市区町村(列記): 国頭郡伊江村
代表都道府県 沖縄県
備考 所在地同一都道府県内のもの(このデータ種別1から移行しています)
解説文:  伊江島の村踊は、伊江島各地区の人びとが伝承する伝統的な歌や踊り、さらに組踊であり、そのなかにはヤマト言葉」による歌や、それに合わせて踊り、また『仮名手本忠臣蔵』を組踊仕組んだものなどがある。
 伊江島は、沖縄県北西部本部【もとぶ】半島から海上北西に約一一キロメートル先にある。琉球王朝時代に、伊江島を治めた領主首里居住し、その屋敷に島の住民が選ばれて奉公行き、さらに領主琉球王朝の命を受けて薩摩江戸に行くときに、伊江島の人びとが随行した。その人びとが薩摩江戸で、また江戸への往復途中見聞きしたヤマト芸能取り入れたものが、後に伊江島の村踊になったとされる
 また島には一九世紀初め学問所として「会所」が置かれ、そこに学ぶ青年たちが、地元伝承される民謡踊り振り付け島の人びとに正月などに披露することがあり、後に、それらも踊に組み込まれていったとされる
 伊江島には、特色ある歌い方として「キプゾ」が伝承されている。キプゾとは木製の箱形のタバコ入れのことで、それを叩いて拍子をとり、さらに口【くち】三味線唱え、それに合わせてさまざまな歌詞で歌うことである。また歌詞八音の句を基調とする沖縄の歌の特色をもつが、他地域にはない「真北」(マチタ)や「城の前」「えんさ節」などの歌があり、さらにもとはヤマト言葉七五調であったとされる吉田」や「シティナ節」「次郎が」「殿の御門」などの歌が踊りとともに伝承されている。
 踊りは、青年踊りである二才踊りに、足首曲げるなど独特の所作があり、また衣裳も黒の羽織紋付を着るなど、沖縄県他地域にみられない特色をもっている。
 伊江島の村踊として伝承される組踊は、「忠臣蔵」「矢蔵【やぐら】の比屋【ひやー】」「伏山敵討【ふしやまてきうち】」「立山【たつやま】(忠臣反間はんかん】の巻)」「大川敵討」「久志の若按司【あじ】」などである。このなかで「忠臣蔵」は、寛延元年(一七四八)に大坂竹本座初演された「仮名手本忠臣蔵」をもとにしている。役名は「大星由良之助おおぼしゆらのすけ】」を「大石大主【うふぬし】」に、「塩冶判官えんやはんがん】」を「塩冶按司」に、「お軽」を「加那ぐすい」になど沖縄風に置き換えている。また全体の筋は「仮名手本忠臣蔵」の三段目刃傷【にんじよう】」や七段目一力いちりき茶屋」、一一段目「討ち入り」などを中心にまとめ、音楽沖縄伝統音楽の「伊野波節」や「子持節」などを使っている。
 組踊は、本来、琉球王朝貴族伝承してきたので、踊として地域の人びとが伝承するようになったのは明治以降考えられるが、組踊忠臣蔵」については、同の上地【うえち】太郎が、一八四〇年に独自に作ったものであったので、早くから踊として演じられていたと地元では伝えている。
 伊江島の村踊は、各地区ごとに、それぞれ個別に、あるいは地区越え共通のものとして伝承するものがあるが、いずれもかつては地区ごとの「遊び」などで披露されてきた。昭和四十八年に地区越え伝承組織として、伊江村民俗芸能保存会結成され、昭和五十五年からは、毎年十一月中旬伊江村産業まつりに合わせて定期的に公開するようになり、村内の八地区輪番当番になっている。なお、当番になった地区は、事前練習重ね十月中に「前仕組み」と呼ばれる稽古の総披露として、地区公民館前庭仮設舞台設けるなどして、地区の人びとが互いに披露し合う形で行っており、かつての地区の「遊び」として演じられた様子を今もうかがうことができる。
 伊江島の村踊は、地域の人びとが、他地域の芸能受け入れ地域特色反映させつつ独自のものに工夫してきたものであり、芸能変遷過程地域的特色を示す貴重なのである






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