三省堂 大辞林 |
あしかが-よしあき 【足利義昭】
美術人名辞典 |
足利義昭
読み方:あしかが よしあき
室町幕府十五代将軍。十二代将軍義晴の二男。興福寺一乗院に入り覚慶と称したが、兄の十三代将軍義輝が松永久秀らに殺害されたため還俗、織田信長と結んで幕府を再興した。やがて信長と反目、武田信玄・浅井長政・朝倉義景らと挙兵したが敗れ、室町幕府は崩壊した。その後毛利氏をたよって幕府再興をはかるが失敗、出家して山城槙島に隠棲、豊臣秀吉から一万石を与えられた。慶長2年(1597)歿、59才。
室町幕府十五代将軍。十二代将軍義晴の二男。興福寺一乗院に入り覚慶と称したが、兄の十三代将軍義輝が松永久秀らに殺害されたため還俗、織田信長と結んで幕府を再興した。やがて信長と反目、武田信玄・浅井長政・朝倉義景らと挙兵したが敗れ、室町幕府は崩壊した。その後毛利氏をたよって幕府再興をはかるが失敗、出家して山城槙島に隠棲、豊臣秀吉から一万石を与えられた。慶長2年(1597)歿、59才。
戦国武将覚書 |
足利義昭(あしかが よしあき) 1537~1597
○義秋 覚慶 左馬頭 参議 権大納言 征夷大将軍
◇父:足利義晴 養父:近衛稙家 子:一色義喬、足利義尋、永山久兵衛義在
将軍家足利氏一族。幼少の頃、近衛家の猶子となって大和・興福寺一乗院へ入る。1565年松永久秀らに実兄の将軍義輝を殺害され、義昭自身も幽閉されるが、細川藤孝らの手引きで近江・和田惟政の下に逃れ、さらに越前・朝倉義景を頼る。1568年尾張・織田信長に担がれ上洛し、室町幕府15代将軍に就くが、傀儡に過ぎず、信長と不仲になる。御内書を濫発して反信長勢力の挙兵を再三行うが、1573年には信長に京都を逐われ、後に安芸・毛利氏に身を寄せてからも、反信長勢力の決起を謀り続けた。豊臣秀吉による天下統一後は、山城・槇島城に1万石を得た。
◇父:足利義晴 養父:近衛稙家 子:一色義喬、足利義尋、永山久兵衛義在
将軍家足利氏一族。幼少の頃、近衛家の猶子となって大和・興福寺一乗院へ入る。1565年松永久秀らに実兄の将軍義輝を殺害され、義昭自身も幽閉されるが、細川藤孝らの手引きで近江・和田惟政の下に逃れ、さらに越前・朝倉義景を頼る。1568年尾張・織田信長に担がれ上洛し、室町幕府15代将軍に就くが、傀儡に過ぎず、信長と不仲になる。御内書を濫発して反信長勢力の挙兵を再三行うが、1573年には信長に京都を逐われ、後に安芸・毛利氏に身を寄せてからも、反信長勢力の決起を謀り続けた。豊臣秀吉による天下統一後は、山城・槇島城に1万石を得た。
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